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贅沢というのは

2012-06-07
弊社の隣駅に、立派な建物が出来ました。
所要があり、その近くに行く際外観を見てきました。

どうもバブリーな雰囲気を醸し出す建物です。
一つ疑問なのですが、この建物は誰かに必要とされた外装・内装なのでしょうか。

何が言いたいかというと、一言「無駄ではないかと」。
もっというと、この無駄の産物を生みだすために「無駄な労力」があるのではないか。
昨今の雇用状況から考えて、無駄であろうと何であろうと働き口が増えるのはいいことではないか、
そんなこと言ってたら就業人口の何割が無駄な労働になっているのだ。という声が聞こえてきそうです。

労働というのは、誰かに必要とされているから存在意義があるのではないか。
単に労働量を増やすための「無駄作業」に何の意味があるのか。
この建物、はっきり言うと「建設サイドの自己満足」でしかないのではないか。

ただ、このような建物を生みだすところを見ると、日本経済はバブル時代に戻るべきと
考えている人がまだまだ沢山いるような気がしてならない。
あの頃はよかった、楽しかった、という言葉をよく聞きます。
そりゃそうでしょ、一時期のお祭り騒ぎですからね。
お祭りは、いずれ終わります。むしろ終わった後の夢の跡が非常に痛かった印象です。

贅沢の極みは、ただの無駄ではないかと感じてしまいます。
物事には何でも「程度」があるのではないかとも感じます。
たくさんのジカンやモノやオカネがあれば、贅沢ですか?
一種の虚構でしかないと考えてしまいます、この建物同様、太陽の塔のようなもの。
でも現実は違います。
安定や安寧を求めている人が多い中、最高の贅沢は「分相応の安定を得ること」ではないでしょうか。
オカネやモノが潤沢すぎるほどあることを贅沢というのは、既に考え方がバブルでしょう。
あるに越したことはない、が分不相応な量はやはり無駄です。
本当の贅沢というのは、身近にあるものであり、贅を極めることは無粋でしかない。
今ある周囲を見渡して、今ここにいることを幸せだと思う事が国民総幸福に繋がると強く感じます。
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