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優しさとは

2023-03-10
先日、ネットのスキルマーケットを眺めていた際、「愚痴聞きサービス」なるものを見つけた。
なんでも、1分あたり100円を支払えば、聞き手の人が親身になって愚痴を聞き、
優しく慰めてくれるとのことだった。調べてみると、元ホストやスナックのママ、
自称イケオジなど個性が強そうな方々が対応してくれるそうで、数十件の掲載があった。
それだけ需要があるということなのであろう。

一昔前の日本では、精神論がまかり通っており、指導の際は罵声や体罰は当たり前で、
それに対して何か愚痴や弱音を吐こうものなら「根性無し!」と一蹴されていたであろう。
その時代と比べると、今日の日本は、「居心地の良い」世の中であるのかもしれない。
多少の金銭は必要になるが、愚痴や弱音を吐くためのセーフティネットのようなものは
利用できるし、また世の中的にも、「無理をしなくてもいい」「自分を大切にするべき」
といった風潮があり、世間もそれを擁護をしてくれるからだ。

ここでいう、愚痴や弱音を吐く人々を「被害者」と位置付けるのであれば、その原因を作った人々は
「加害者」ということになる。その場合、被害者は擁護され、加害者は非難される。
しかし、本当の被害者はどちらで本当の加害者はどちらなのか考える必要があると思う。

私自身、厳しくご指導を頂いたこともたくさんある。
ネガティブな気持ちになって自分の殻に閉じこもってしまうこともあるし、逆恨みをすることもあった。
その後、何年かして何をやってもうまく進まない時に、ふと、昔に指導を受けたことを思い出した。
 自分の行動を振り返り、反省の機会を持てたことで、 自分をご指導して下さった方の思いが初めて解った。

結果、こうした方々が本気で自分のことを憂いてくださっていることを理解し、
時間はかなりかかってしまったが、自分に本気で指導したり、本音で苦言を呈して下さる方々が
本当に「優しい」人だと解ることができた。

学生時代や社会人になりたての頃、自分もかなり多くの愚痴や弱音を吐いていた記憶がある。
その当時は、ありがたいことに、心ある方々が耳を傾け共感してくれることに感謝をしていた。
  実際自分の気持ちが救われたことも何度かあった。
しかし、その人達といは何故か疎遠になってしまっている。距離を置かれてしまったのだと思う。
 自分の他責な言動に本当は辟易としていたのだろう。
 
 冒頭でお金を払ってでも愚痴や弱音を吐くことに対して寛容な世の中になっていることをお伝えさせていただいた。
確かに、ネガティブな自分の気持ちをフラットにするために、共感を得ることは、精神衛生上必要なことであると思う。
しかし、それに満足して、耳触りが良く、自分に都合の良い言葉を投げかけてくる人たちだけを「優しい」人と
認識してはいないだろうか。

人生の様々な場面において、ネガティブな気持ちになることは必ずあると思うが、
その状況を打開するためには、自身の言動や行動・態度について振り返り、反省をすることを忘れてはいけない。
その中で、自分が今まで「加害者」と認識していた人の思いを理解することにより、
実はその人が「優しい」人であったことに気付くことができるかもしれない。
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