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ナバホの想い

2015-10-13
先日都内某所にてナバホ族の巨匠「A氏」が来日し、
インディアンジュエリーの制作デモンストレーションとトークショーが開かれた。

インディアンジュエリーとはその名の通りインディアンが作ったシルバーや
ターコイズをあしらった装飾品であるが、その歴史は古く、深い。
だからこそ現在でもムーブメントとして文化を築いていると思われる。
彼が語ったインディアンジュエリーの歴史を少し紹介してみる。

紀元前900年頃から先住民であるネイティブアメリカンはジュエリーを
作っていたとされる。そこへ16世紀スペイン人によって銀が持ち込まれ、
ジュエリーは大きく変化する。
 1840年頃のナバホ族の一人がスペイン人から鍛冶を学んだとされる。
当時の銀製品は粗雑なツールで作られており どれも現在のインディアンジュエリーとは
かけ離れたものだった。しかし金属を溶かすための容器や紙やすり、
送風機などを作り品質の向上に努めた。これを古典期と呼ぶ。(第1フェーズ)

 1900年頃、フレッド・ハービー社というホテルやレストランなどを経営する会社が現れる。
フレッド・ハービーはインディアンジュエリーに目を付け、レストランなどで販売するようになり、
商業化の波に乗る。ジュエリーの需要が高くなるとハービー社はこれらを機械で作るようになる。
ジュエリーは安く多く売るために、薄いものが作られる。粗雑なジュエリーは流行せず、
インディアンジュエリーの需要は減り続けた。

一方で1900年代以降ネイティブアメリカンはツールを改良することで技術を向上させ、
今日のようなスタイルのインディアンジュエリーが作られるようになった。
しかし、その数は極めて少なかった。この頃に作られたジュエリーをオールドポウン(古い質)と呼び、
特に1910~1930年頃に作られたジュエリーは現在でも評価は高い。(第2フェーズ)

第二次世界大戦が終わると、アメリカでのみ人気があったインディアンジュエリーは
世界中で人気が出て価格も高騰した。 1980年代以降、「価値」が認められる時代になり、
ゆっくりと確実に需要は増え続け、今日にまで至る。
ネイティブアメリカンにとってインディアンジュエリーは家族の誇りであった事には間違いない。
収穫の時も、家族との別れ等、苦しみの時もいつもジュエリーを身にまとってきた。
「A氏」は昔ながらの製法でジュエリーを創り出す。日本の「サムライ道」に似ていると彼は言った。
彼もまた刀鍛冶のようにハンマーで何度も何度も自分の作品を打ち続け、創り上げていく。
彼はインディアンジュエリーを単なるジュエリーではなく、「芸術品」と呼ぶ。
時が経過すると価値が増していく物と定義づけていた。動画撮影禁止で、
神聖な歌やまじないのような動作をしながら制作に入っていった。「芸術品」か「工業品」かを
考えることをまずして欲しいとも言っていた。

人材ビジネスも同様で「商業化」おける大量生産の廉価品の流出は減少することはない。
型に溶かした金属を流し込んで、磨く作業員を配置する工場や、総指揮をナバホの職人が担当し、
実務はアルバイト、パートの作業員が担当するように、多くの企業が検索をし、機械的にスカウトをする。
我々コアは人材ビジネスにおいて商業化、効率化による「工業品」ではなく、昔ながらの方法で、
いい意味で非効率にこだわり、時が経過すると価値が上がり、必要とされる「芸術品」としての仕事をしていく。
昔ながらの銀塊から切り出し、カナヅチで丹念に打ちながら、スタンプワーク、リボウズなどの技術を
ふんだんに使い制作していくように、無数の転職希望者からこだわり抜いてサーチし、打ち合わせ、
棚卸を行い、新しい働く事の価値を伝える。求職者の将来は充実し、企業は発展をし、時が経過すると
価値が増していく。

そんな集団を目指し、志を高く持ち、一歩一歩進んでいく。
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