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二刀流

2023-03-31
日本代表の3大会ぶりの優勝に終わった第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。
優勝から1週間が経った今も、各種メディアで取り上げられており、多くの人々の記憶に残る
感動的な大会だったと思う。野球にそれほど興味を持っていない私でも日本戦は全試合、テレビ中継を観た。
様々な選手が活躍した大会だったが、決勝のアメリカ戦で“打って守る”をやってのけた
大谷選手の二刀流はやはり凄まじく、一躍、野球界の、いや、世界のヒーローとなった。

詳しい人も多いだろうが、野球界の二刀流は投手と野手の組み合わせに限ったことではなく、
現役時代の野村監督や古田監督など、監督としてチームを牽引しながら、
選手として登録していた人もいた。しかし、想像に難くない事だが
「監督と選手」の二刀流はまず、成功しない。
古田監督の場合、監督になった事で選手としての出場機会は大幅に減り、選手成績もダウン。
そのままチーム自体の成績も不振になってしまった。
どちらかに専念していたら…という声も多くあった様で、
突出したスキルを持っていたとしても、異なる要素を同居させる難しさがうかがえる。

ビジネスの世界での二刀流は、例えば「管理職」と「プレイヤー」の兼務。
いわゆる、「プレイングマネジャー」という存在だ。
実際、日本では約9割のマネージャー職の方が、現場職務をこなしつつ、
マネジメント業務にも携わっている。しかし、やっている事と出来ている事は大きく異なる。
実際に、その二つの顔を両立できている人はどのくらいいるのだろうか。

転職相談に来られる多くの現役管理職の方々のお話からしても、
業務量は1.5倍、なのに残業はつかなくなってモチベーションも下がり…と、
思い描いていた管理職とは程遠いものになっている事は想像に難くない。
「メンバーに仕事を任せられないので、仕方なく自分でやっている」という話もよく聞くが、
この状態ではメンバーの自主性が育たない。結局、一生マネジメントに集中できず、
いずれの立場においても中途半端な存在になってしまう(若手からもリスペクトされない)。
もちろん、2つの異なる役割を高次元で同時にこなす二刀流に憧れを持つことは悪くないが、
お互いが持つ能力を最大限に発揮できる環境を整えた方がうまく行く事も多い。

WBCの準決勝、負ければ後がない状況で栗山監督は不振の村上選手に全てを託したそうだ。
「思い切って行け!」
結果として、村上選手がプレッシャーに打ち勝ち、栗山監督の差配が賞賛された。
そして、極限の状態で自分を信じてもらえた村上選手は、
もしまた今回の様な状況に陥った時に自ら克服する勇気を獲得したと感じるし、
もし自分が指導をする立場になった時には『思い切って、行け!』と
誰かの背中を押してやれる存在になれるかもしれない。
リスクを負って信じる事、そしてその期待に応える不断の努力を日々続けている事。
私が考えるに、それこそ正しいプレイヤーとマネージメントの関係性であり、
そして、それを次の世代へ受け継いでいく事にも大きな価値があると考えている。

残念ながら、大谷選手の様な存在になれる人は ごくわずかである。
しかし、必ずしも二つの刀を自分だけで同時に振り上げる必要はなく、
誰かと一緒に携えたほうが守りも攻めもうまく行くし、長く活躍できることが多い。
自分なりの二刀流を実現するために、大谷選手の様に努力を惜しまず邁進したい。
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桜の季節

2023-03-22
今年は3月14日に東京で開花が観測され、
平年よりも10日ほど早い開花となったらしい。

そう言えば近年は桜をゆっくり見る機会がなかったなと思い、
散歩がてらに毎年綺麗な桜並木となっている
近くの小学校に開花チェックに行ってみた。
残念ながらまだ咲いていなかったが、
蕾がうっすらとピンクに膨らんでいる姿を目にすることができた。

新しい年度が始まる時期には、日本中で桜の花が咲き誇る。
そしてその空いっぱいの桜の花を見て、
私たちは、これから始まる新しいことに、気持ちを新たにすることが多い。

桜の花は、新しい年度に向けた予祝の象徴として、日本人の心を豊かにしてくれる。
「予祝」とは、以前にブログでも記載されたことがあったかもしれなしが、
「事前に祝福すること」を意味する。
日本では、祝福をすることで、そのことが実現するように
願いを込める習慣がある。
例えば、初詣や七五三、成人式なども予祝の一種として考えられる。

丁度、新しい門出となる新年度に咲く桜の花は、
予祝の象徴であり、花見は予祝の場でもあるらしい。
新しい生活が始まる新入生や新社会人の方々は、
きっと不安とワクワクした気持ちだろう。

一方で、日々の生活は変わらない私たちは、
予祝の象徴である桜の花を見上げて一体何を願うだろうか?
初詣のように商売繁盛や、さらなる自己成長を願う人が多いと思うが、
前年度とは違う自分であるためには、目標が必要となる。

大それた目標でなくても良いと思う。
「これをやろう」と具体的なことを一つ心に決めることが、一歩を踏み出す力になる。

桜の美しさは、その儚さにある。
年齢に関係なく、今しかできない経験を思いっきりすることで、
自分なりの花を咲かせ、美しく散りたいものだ。
今年は、出会う一人ひとりの花が開花されることを願い、そして
そのサポートをするという自分の役割を全うできることを願って花見をしようかと思う。
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満員電車とリュックサック

2023-03-17
近頃リュックを使用している人をよく見かける。
一昔前は、リュックを利用するのは小学校の修学旅行や、
山登りの時くらいなものでしたが、
今では学校の指定カバンもリュック。
社会人も半数以上はリュック使用者となっている。
荷物を背負う(前抱えする)事で、両手が空いて便利になり、
今のスマホ時代にはうってつけのようだ。

私が利用する通勤電車は、「乗車率」全国1位2位を争うあの電車だ。
混雑時は、1メートル四方に、10人以上のおしくらまんじゅう状態。
カバンからスマホを取り出すことすら、出来ない。

でも待てよ、俺の前にいるこの人はスマホを楽に操作してる。なぜだ?
そう、「前リュック」をしてパーソナルスペースを確保しているからだ。
とそのリュックを前に背負った男性のスマホは、
まるで水戸黄門で格さんの出す印籠のように、
「ここは私のスペース内につき、控えおろう。」と言わんばかりだ。
目の前の人にぶつかっていても、「私は、前抱え、マナーは心得ている。」
という顔をして、スマホをやり続けている。

「おいおいそのパンパンのリュックには何が入ってるのだ?
1週間くらい山ごもりしながら仕事をするのか?」と、心の中で叫んでしまう。
なにせそのリュックは固くて痛い。まさか、距離感のためのツッパリ棒入り!?

だが待てよ、この光景を仮に、車両の上から見てみたらどう見えるのだろう
人・リュック・人・リュック、のサンドイッチが、出来上がっている。
以前は、人・人・人・人の押し寿司状態だったが、満員電車の中で、
少し間隔狭めだが、ソーシャルディスタンスができているではないか。
確かにこれから夏場、汗びっしょりのおじさんと肌を合わせたくないし、
耳元で鼻息をかけられたくない。

今の時代の、人と人との、付き合いの距離感に似ているのかもしれない。
見方を変えれば、見え方も変わる、マナーの問題は別としてですが。
現代のwithコロナ世代にとっては、ある意味そういう考え方もできるのではないかなと感じた。

俯瞰で物事を見るとこういう見方も出来るのだ。
時代が変われば、ライフスタイルも変わる。
受け入れる事は受け入れて、
改善できるところは改善していかなければならないのだなと感じた。

柔軟な発想を心がけ、本質はどこにあるのだろう?と考えながら、
今日も満員電車に揺られている。仕方ない。ツッパリ棒入りリュックを買うか!
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優しさとは

2023-03-10
先日、ネットのスキルマーケットを眺めていた際、「愚痴聞きサービス」なるものを見つけた。
なんでも、1分あたり100円を支払えば、聞き手の人が親身になって愚痴を聞き、
優しく慰めてくれるとのことだった。調べてみると、元ホストやスナックのママ、
自称イケオジなど個性が強そうな方々が対応してくれるそうで、数十件の掲載があった。
それだけ需要があるということなのであろう。

一昔前の日本では、精神論がまかり通っており、指導の際は罵声や体罰は当たり前で、
それに対して何か愚痴や弱音を吐こうものなら「根性無し!」と一蹴されていたであろう。
その時代と比べると、今日の日本は、「居心地の良い」世の中であるのかもしれない。
多少の金銭は必要になるが、愚痴や弱音を吐くためのセーフティネットのようなものは
利用できるし、また世の中的にも、「無理をしなくてもいい」「自分を大切にするべき」
といった風潮があり、世間もそれを擁護をしてくれるからだ。

ここでいう、愚痴や弱音を吐く人々を「被害者」と位置付けるのであれば、その原因を作った人々は
「加害者」ということになる。その場合、被害者は擁護され、加害者は非難される。
しかし、本当の被害者はどちらで本当の加害者はどちらなのか考える必要があると思う。

私自身、厳しくご指導を頂いたこともたくさんある。
ネガティブな気持ちになって自分の殻に閉じこもってしまうこともあるし、逆恨みをすることもあった。
その後、何年かして何をやってもうまく進まない時に、ふと、昔に指導を受けたことを思い出した。
 自分の行動を振り返り、反省の機会を持てたことで、 自分をご指導して下さった方の思いが初めて解った。

結果、こうした方々が本気で自分のことを憂いてくださっていることを理解し、
時間はかなりかかってしまったが、自分に本気で指導したり、本音で苦言を呈して下さる方々が
本当に「優しい」人だと解ることができた。

学生時代や社会人になりたての頃、自分もかなり多くの愚痴や弱音を吐いていた記憶がある。
その当時は、ありがたいことに、心ある方々が耳を傾け共感してくれることに感謝をしていた。
  実際自分の気持ちが救われたことも何度かあった。
しかし、その人達といは何故か疎遠になってしまっている。距離を置かれてしまったのだと思う。
 自分の他責な言動に本当は辟易としていたのだろう。
 
 冒頭でお金を払ってでも愚痴や弱音を吐くことに対して寛容な世の中になっていることをお伝えさせていただいた。
確かに、ネガティブな自分の気持ちをフラットにするために、共感を得ることは、精神衛生上必要なことであると思う。
しかし、それに満足して、耳触りが良く、自分に都合の良い言葉を投げかけてくる人たちだけを「優しい」人と
認識してはいないだろうか。

人生の様々な場面において、ネガティブな気持ちになることは必ずあると思うが、
その状況を打開するためには、自身の言動や行動・態度について振り返り、反省をすることを忘れてはいけない。
その中で、自分が今まで「加害者」と認識していた人の思いを理解することにより、
実はその人が「優しい」人であったことに気付くことができるかもしれない。
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敵か、味方か?

2023-03-04
2023年は始まったばかりだが、学校や今月が決算の会社は年度末。
新たな環境への挑戦となることや、配置転換等で出会いと別れが多い時期でもある。
新たな配属先に行くのであれば、残りの期間で現在の部署の役割を全うし、
周囲に応援されながら最後を迎えたいものだ。

そんな中、人生には様々な出会いがあり、
価値観や立場が異なる人と、意見の衝突もあるだろう。
「この人とだけは一生分かり合えない」と思う場面に遭遇したり、
拭い去れない不信感を抱えている方もいるかも知れない。
相手が誰かを傷つけるような人の場合、「自分は絶対こうはならない」と心に誓うと良いだろう。

ただ、「一生分かり合えない」と思っていた人でも、
きちんと向き合うことで、わだかまりも解消され本当の味方であることを知ることもある。
私には、5年ほど絶縁状態にあった前職の職場の先輩がいた。
相手の発言が引き金となり、周囲を巻き込むトラブルへと発展し、
上司が話し合いの場を設けても収集が付かず、喧嘩別れのような形となり私は退職した。

当時の私は、自分は間違った事をしておらず、相手が非常識だという考えは、
誰に言われても耳を傾けることも出来なかった。
それから5年近く経ち、当時、仲裁を試みて下さった上司と食事をする機会があった。
「君自身の為にも」と強く諭され、私から連絡を取り、2人で会うこととなった。

当時の私は、火種となった出来事は、先輩が、周囲から良く見られたいが為に動いた結果、
多くの人を困らせ、収集が付かなくなったものだと思っていた。
しかし、実際は、皆が知らないところで、私を含めた周辺の状況を見て、
最善を考えた行動であったことを、初めて知ることとなった。
先輩が守ろうとしていたのは組織や取引先であり、私が守ろうとしていたのは自分だった。
それでもその先輩は君の立場で考えられていなかったねと謝ってくれた。
私は、相手の価値観や想いを全く理解せずに相手を悪者にすることで、自己正当化をしていただけだった。
そんな自分が情けなく、小さい人間に感じられた。

結果的によろしくない関係となってから5年がたち、
関係を修復したことで、一生会わないと思っていた人が、
自分の大きな味方に変わったのである。
その先輩はしっかりとした管理職の立場になっていた。
当時とは異なり、今は自分にも後輩が出来て、色々と教えれることを教えたり、
伝えるべきことを伝えたりしている。
目の前のことだけでなく、周りの同僚や、経営者の考えも少しずつ解るようになってきた。
すべてその先輩に教わったことだ。

何事に於いても、情熱を注いだり、人を真剣に想って動いた時程、
自分が考えている以上に、周囲を見れなくなりがちである。
間を取り持って下さった方に、最大の敬意と感謝の気持ちを持ち続け、
頭は冷静に、気持ちは熱く、誰かの為になる仕事を続けていきたい。
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