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意識に感染するもの

2023-02-25
知り合いのおばあさんと会った時、
息子が挨拶をせずにすれ違ったらしい。
訳を聞くと、マスク生活になってから、
喋らない方が良いと言われるようになって
段々挨拶もおざなりになってしまった様だ。
これもコロナ後遺症の一つかと感じつつ、
子どもには挨拶の大事さと感染リスクの話をした。

先日の日経新聞に「戻らぬ働き手1000万人」という
記事が掲載されていた。今現在働いている人と
仕事を探している人の数が減っているという事だ。

これは先進国全体の傾向であり日本も例外ではない。
日本人の場合「人材ミスマッチ」によるもので
需要はあるがそのスキルを持っている人材がいない、
というのが背景にあるらしい。

コロナ禍での生活スタイルの変化に伴い、
慣例だからやっていた様な無駄な仕事は減っていき、
労働環境としては全体的に効率が上がっただろう。
しかし、働き手の意識もアップデートされたかというと
全く追いついていないように感じる。
ハード(環境)は高性能になったが、
むしろソフト(意識)は「緩く」書き換えられてしまい、
色々なウイルスが侵入しやすくなっている。
それによって職場や転職市場にギャップが発生しており、
冒頭のミスマッチにもつながっているのかもしれない。

そのウイルスの一つが「できない・やれない」を肯定する感覚だ。
本来は非接触型の生活や仕事の様式が一般化するほど、
目に見えない部分が多くなる分、相手への配慮が必要になるはず。
しかし、見えない事は今までにない楽さをもたらすので
配慮はおろか、むしろ他者をもっと遠ざけようとしてしまっている。
前はやれていた事すら「まあ、仕方ない」で片づけてしまい、
「どうやればできるか?」という思考がどんどんつぶされていく。
そして、一端下げた自分のハードルは、容易には上げられなくなる。

もちろん「緩さ=後退」だと決めつけるつもりはない。
しかし、今の状態から何らかの前向きな変化を望むのなら、
間違いなく強いエネルギーが必要となるはずだ。
もし、コロナ前後のタイミングで特にエネルギーを使うことなく、
自分が決めたルールを変えたり、止めてしまった習慣があるのなら
それは効率化を言い訳にした甘えや逃避だと疑った方が良い。

転職するにしても、今の会社でひと踏ん張りするにしても
そこには前向きなエネルギーが絶対に必要になる。
コロナというウイルス自体は弱毒化しているかもしれないが、
「働く意識の後退」という別の形でじわじわと感染拡大している。
不安に思うことがあれば、我々の様なエージェントに
棚卸しの面談を申し込むのも有効だ。自覚症状が無い時ほど、
他者からのフィードバックは頼りになる。
転職を考えていなくとも、遠慮なくご相談頂きたい。
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ゆるい職場

2023-02-17
最近「ホワイト企業」に勤務しているのに
会社を辞める若手社員が増えているらしい。
その背景には、
「今働いている会社がゆるすぎて、成長できないのではないか」
という将来への危機感があるようだ。
実際、弊社にキャリア相談にくる20代の若手にも、
「簡単な仕事しか任せてもらえない」
「ミスをしても、怒られない」といった
“ゆるい職場”という事を転職理由に挙げる方も一定数おられる。

私が、社会に出たのは20年も前のことだが、
当時の私は、日々の業務に追われ、上司に叱責され、
終電に乗れないなんて事も多々あった。
しかし、現在は、「働き方改革関連法案」「パワハラ防止法」などの
法律が施行され、上司が部下を叱っている光景は見られないし、
深夜まで働いている新人もほぼいない。
私の若い頃と比べると、かなりホワイトな環境になったと思う。
しかし、最近の若手社員の一部は、今の職場を“働きやすい環境”ではなく、
“ゆるい環境”だと捉えており、むしろ不安を感じているようだ。
企業側は労働時間を減らし、パワハラにも気をつけて
職場環境を改善する為尽力したが、
一方で、若手社員を“正しく指導する”ことを
放棄してきたことが招いた結果なのかもしれない。

今の40代以上のビジネスマンが若手社員だった頃、
仕事=苦行と捉える人も多かったかもしれない。
そんな環境下でも会社を辞めなかった理由は、
それらの仕事が自分の成長に繋がっていると
実感出来ていた瞬間があったからではないだろうか。
上司からたくさん叱られても、その分、多くのことを学び、
経験やスキルを身に着けることができていた。
しかし、今の若者の職場環境はパワハラと言われることに
恐れる上司から甘やかされ、「誰でもできるような仕事しか与えられない」
「ミスをしても誰も正してくれない」といった状態かもしれない。
何の経験もスキルも身につけられない環境であれば、
若手社員が転職したいと思う気持ちも分からないでもない。

ブラック企業からホワイト企業にするためには、
労働時間やパワハラを厳しく管理することは当然必要だ。
しかし、昨今の企業や上司は、“労働の質”までも
ゆるくしてしまっているのではないか。
若手社員も、働き続け、自身の成長が見込める企業なら、
簡単に辞めたりはしないだろう。むしろ、ゆるい職場を辞めるということは、
向上心が高いとも言える。簡単な仕事のみを与え、“労働の質”をゆるくすることは
上司にとっては楽なことかもしれない。
ただ、今後は上司自身も、若手社員を正しく育てるための技術を
身に着けることが必要なのではないかと思う。

若手社員が「ゆるい」と感じている反面、
そのしわ寄せは中堅やベテラン社員へと移っている。
社員に働き易い環境を与えようと努力した結果、様々なところで歪が発生している。
コロナ禍の影響もあり、リモートワークの導入も一気に進んだが、
最近は導入を取りやめて出社比率を高めている企業も多い。
残念ながら、どんな制度を導入しても社員全員が満足する制度を
作ることは難しいのだろう。時間、コスト、労力が必要になるが、
社員一人一人の仕事に対する考え方や認識を変え、
環境に影響されない「自走する社員」を育てていく事が
一番の近道なのではないだろうか。
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心理的安全性とルール

2023-02-10
通勤中にニュースをチェックしていて、
「リモートワークが可能な求人案件がこの3ヶ月で半減」という記事が目に入った。
Indeedの調べるによると、同社の求人サイトに掲載されている求人案件のうち、
テレワーク可という求人が昨年10月以前には7.5%超だったのに対して、
12月には3.5%に減ったということだった。
確かに、弊社の取引先の企業様でも、今年から週2日もしくは3日は出社するように
方針が変わったというところが増えた。

さらに興味深いことに、別のニュース記事だが、とある調査会社の調査結果で
テレワーク中に60%以上の人がサボったことがあると回答し、
90%以上の上長がそれを「黙認している」と回答しているらしい。

出社日数を増やす理由は、リモートワークでは人間関係を築きにくい、
あるいはカクテルパーティー効果などがもたらす偶発的アイデアが減少する、
などの理由があるのだろうが、心理的安全性が保たれず、
やむを得ずルールを設けて部下を管理せざるを得ない状況になっている
というのもまた事実だろう。

世界で見ても、TwitterのCEOであるイーロン・マスク氏も、
最低週40時間は出社するように言っており、さらにパフォーマンスが良くない部下の
リモートワークを認めた管理職は解雇すると通告していたりもする。

ルールは何故できるのか?

モラルを守らない人がいるからである。
すべきことをしない、基本のホウレンソウを怠るなど管理の問題だけではなく、
そういった秩序のない社員は、周囲に悪影響を及ぼし、ひいては会社に直接的損失を与えかねない。

本当は会社もたくさんのルールなんて作りたくはないはず。
しかし、ストレスから逃げたい、しんどいことはしたくない、苦悩から逃げたいと思うのが人。
ルールを作らざるを得ない状況を実は自分たちで作ってしまっているといえる。

必要なのは、心理的安全性のある働き方である。
約束を守ることなど当たり前のことを当たり前にできること、主体的に考え工夫ができること、
自分のためだけではなく周囲と組織のことを考えて行動することができること、など
「この人なら信頼できる、大丈夫」と周囲の誰もが思えるような働き方。
そして、最も大事なことは、モラルを守れていない事を注意し合うことができる風土であると思う。
嫌なことを指摘するなんて、面倒なことに巻き込まれたくない、嫌われたくない、
そんなの管理職の仕事で自分の仕事じゃない、
そう言っていられるだろうか。
モラルを守れない人が、10人のチームのうち一人だったら何とかなるかもしれない。
でも「あの人もこうやってるし」と二人が三人に、三人が四人になったらどうなるか?
もはやルールを作り、統制を図っていくしかない。
そんな窮屈な組織にしている責任の一端を担っていると言えるのではないだろうか。

逆を言えば、ルールがなくても機能する組織にできるのも、自分であるということ。
とは言え、自分一人だけでは難しい。
組織の中で、真の心理的安全性とは指摘し合える組織であるという共通認識が必要である。
そんな組織を目指し、今日も皆で奮闘している。
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今日は節分

2023-02-03
節分とは、季節の分かれ目には邪気が入りやすいということで、
その邪気払いを目的として、立春の前日に邪気を払い身を清める、
1年の無病息災という意味を込めて行われる行事である。

ちなみに必ずしも2月3日ではなく、2021年は2月2日であったし、
実は2025年も2月2日が節分にあたるとの事だ。

節分といえば「鬼は外、福はうち」と声をかけて、
お面を被った鬼役である父親や、幼稚園の先生に豆を投げ、
歳の数だけ豆を食べるという、楽しい行事として思い出に残ってる。

しかし近頃は、少し様子が違うように感じる。
豆まきよりも、恵方巻きを食べることに比重が置かれている気がするからだ。
さて、この恵方巻きを「節分に食べる」という習慣はいつからあったのだろうか?

恵方巻きは、江戸時代から明治時代にかけての大阪の花街で節分をお祝いしたり、
商売繁盛を祈ったりしたのが始まりといわれていて、花街で商人や芸子たちが
節分に芸遊びをしながら商売繁盛を祈り、食べたらしい。
名前も恵方巻きという名前ではなく、「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」と呼ばれていたようだ。

しかし、今では関東圏のほとんどの人が知っていたり食べていたりしている。
気になって調べてみたところ、1980年に、お寿司屋が「縁起巻き」という名前で
全国に広めようとしたところ、普及せず、後追いで1989年に大手コンビニが
全国に仕掛け大成功し、関東の文化としても根付いたのだそうだ。

個人的には、このような仕掛けられた文化にはどうしても賛同できない性分だ。
例えば、大騒ぎをしながら仮装して街中をウロウロする日本のハロウイン然り、
W杯などで日本が勝利すると、信号おかまいなしに交差点に飛び出す行為など
集団心理というか、みんなやってる、そんなものでしょう?という、
本質を考えない行動にたいして「おいおい、それって何のためにやるの?」と
ついつい問いかけたくなってしまう(年のせいかもしれないが)。

今年は正月早々、尊敬する先輩達と香取神社に初詣に出かけたのだが、
昨年は自分自身や家族に様々なことがあったこともあり、
生まれて初めて、祈祷をしていただいた。
これはさっきの「皆がやってるから」という気持ちとは真逆に近いもので、
自然にご祈祷を受けることができて、とても良い気分になった。
祈祷してもらった事で、なぜか子供たちにも誇らしげな自分がいる。
決して信心深くはなかった自分がそんな気持ちになる事が出来たのは
周りにいる人達との安心感や信頼感があったからかもしれない。
もしかすると、前述の何となく騒いでる人々も、そういう集団の中での
安心感や自分の居場所作りの為の行為…なのかもしれない。

コスプレ、大騒ぎ、ハイタッチ・・・
何事も、体感せずに表面だけで否定するのは良くないことなのかもしれない。
自分が体感したことのないことは、うまく人には伝えられないし、
見たり聞いたりしただけではそれが真実かどうかも分からない。
いつかは渋谷のハロウィンで、鬼のお面を被って歩いてみるのも良いかも知れない。

今日は娘の提案で家族で恵方巻きを丸かじりする。
動画にアップする為なのか、映えなのか知らないが、つきあってみよう。
今年はどうやら南南東が吉方らしい。
作法にのっとり、おしゃべりの私も無言でかぶりつきたいと思う。
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