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「自己の中心で、アウトプットを嘆く」

2021-09-24
「〇〇が9割」的なビジネス本が引き続き売れている。
先日、似た感じで「要約力」について書かれている本を読み、
社内メンバーにも展開しようとアウトプットしたら、
全く要約できていなかった…という笑えない状況になってしまった。
筋の良くない読書、というのはまさしくこういう事なのだろうが、
そうなったのは、下記が原因だったと反省している。

① 勝手知ったる仲だからという甘え(相手任せ)
② 良い本だから内容をできる限り伝えたい(自己満足)
③ インプット時に実務へ具体的に落とし込めていない(目的意識)

基本的に何かを「話す」あるいは「記す」場合、
「全く聞き手を考えなくてもOK」という
シチュエーションはまず考えられない
(日記ですら未来の自分が読んでわかる必要がある)。
しかし、この「聞き手を考えて」というのが極めて難しく、
だいたいの場合上記①~③の様に「話し手」である自分を
成立させる事だけに必死になってしまう。

ちなみに同じ「伝わらない」にも二つあると思う。
ラーメンで例えると、一つは食傷気味の「全部のせ」と
もう一つはあまりに簡素な「味気なさ」のいずれかだ。

私は前者の「全部のせ」の傾向が強く、
あれもこれもと用意した内容全てを詰め込んでしまい、
一番伝えたい事が埋もれてしまう。
この手の人は「大は小を兼ねるはず」という感覚が強く、
局面で思考を放棄している可能性が高い。
性格的には「丁寧だがずぼら」な人だと思うので、
一生懸命ではあるけど伝わらないという悲劇を生み出す。
一方で「味気なさ」側に課題がある人は、
伝わらない原因は聞き手にあると思いこんでいる場合が多く、
シンプルイズベストをはき違えてしまっている。

結局、両者とも突き詰めれば、
「自分大好き!自己中コミュニケーション」という
共通の課題を抱えていることがわかる。

そういえば、アウトプットが上手な人は、
仕事とかプライベートとかいう区別もあまりしていなくて、
いつどんな場面でも確実に相手に伝えられている気がする。
思うに、常に成果を強く意識している人は、
それが家族でもお客様でも
「他者中心」に考える方が自分にとって「得」である事と、
「自己中心」で考える事で「損」する事の双方を
よく知っているという事なのかもしれない。

「なかなかうまく伝わらないな…」とお嘆きの方は、
まず、自分の意識の根っこに「俺を見てくれ!」「私を見て!」という
ジコチューな感覚が鎮座していないかチェックした方がいい。
もしそこで自覚できたのなら、飛躍的にアウトプット能力が伸びる可能性がある。
「〇〇が9割本」に手を出すのは、その後で十分だと思うのだ。
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夏休みの宿題

2021-09-17
皆さんは小中学校時代、夏休みの宿題にいつ頃とりかかっていただろうか?
多いのは「スタートダッシュで休みの前半で全てを終える派」と、
「最後まで溜め込む派」の二つではないだろうか。

先日、『「夏休みの宿題」の取り組み方でわかる、敏腕社員と残業社員の仕事格差』という
記事を読んだのだが、この記事ではスタートダッシュ派が「敏腕社員」、
溜め込む派が「残業の多い社員」と定義づけており、非常に納得感があった。

そもそも「夏休みの宿題を早くやりたくてしかたがない!」という子供はいないだろうから、
つまるところ「自分を律する事ができるか?」という点がポイントになっている。
「三つ子の魂百まで」というが、子供の頃の癖が大人になっても抜けないという話でもある。

自分自身を振り返ると、恥ずかしながら溜め込む派の典型だった。
以前のブログでも書いたのだが、若い頃は社会人になってからも、
面倒なことや嫌なことを先送りしたり、先延ばしにすることが多く、
周囲に迷惑をかける事も多かった。
そのため、強く意識して行動を修正するようにしてきた。

しかし、ちょっと油断すると自分の悪い癖が顔を出すことも知っている。
そんな自分にとって、「まぁ、いいか」は最大の敵だ。
周囲に迷惑をかけないためには、必ず自分の行為の先に
相手がいるという事を常に認識し、甘い自分と戦い続けなければならない。

また、面倒な案件を後回しにすると、さらなる弊害も生み出す。
溜め込んでいるという意識だけは常に存在しているので、
それが脳のメモリーを占有し、判断力や集中力を阻害する事につながってしまう。
そして、さらに言えば「自分は多忙だ」という錯覚に陥る。
結果、時間だけが経過し「やったつもり」の稼働時間が増えていく。
先ほどの記事でいう「残業社員」そのものだろう。

先日、小学生の娘に「そういえば夏休みの宿題っていつ終わらせた?」と尋ねてみた。
ゲームをしながらこちらを見ることもなく「初日に全部終わらせたよ」と
あっさり言いのけた対応に若干の腹立たしさを感じながら、
我が子から影響を受けた一幕だった。
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夏休みの宿題

2021-09-17
皆さんは小中学校時代、夏休みの宿題にいつ頃とりかかっていただろうか?
多いのは「スタートダッシュで休みの前半で全てを終える派」と、
「最後まで溜め込む派」の二つではないだろうか。

先日、『「夏休みの宿題」の取り組み方でわかる、敏腕社員と残業社員の仕事格差』という
記事を読んだのだが、この記事ではスタートダッシュ派が「敏腕社員」、
溜め込む派が「残業の多い社員」と定義づけており、非常に納得感があった。

そもそも「夏休みの宿題を早くやりたくてしかたがない!」という子供はいないだろうから、
つまるところ「自分を律する事ができるか?」という点がポイントになっている。
「三つ子の魂百まで」というが、子供の頃の癖が大人になっても抜けないという話でもある。

自分自身を振り返ると、恥ずかしながら溜め込む派の典型だった。
以前のブログでも書いたのだが、若い頃は社会人になってからも、
面倒なことや嫌なことを先送りしたり、先延ばしにすることが多く、
周囲に迷惑をかける事も多かった。
そのため、強く意識して行動を修正するようにしてきた。

しかし、ちょっと油断すると自分の悪い癖が顔を出すことも知っている。
そんな自分にとって、「まぁ、いいか」は最大の敵だ。
周囲に迷惑をかけないためには、必ず自分の行為の先に
相手がいるという事を常に認識し、甘い自分と戦い続けなければならない。

また、面倒な案件を後回しにすると、さらなる弊害も生み出す。
溜め込んでいるという意識だけは常に存在しているので、
それが脳のメモリーを占有し、判断力や集中力を阻害する事につながってしまう。
そして、さらに言えば「自分は多忙だ」という錯覚に陥る。
結果、時間だけが経過し「やったつもり」の稼働時間が増えていく。
先ほどの記事でいう「残業社員」そのものだろう。

先日、小学生の娘に「そういえば夏休みの宿題っていつ終わらせた?」と尋ねてみた。
ゲームをしながらこちらを見ることもなく「初日に全部終わらせたよ」と
あっさり言いのけた対応に若干の腹立たしさを感じながら、
我が子から影響を受けた一幕だった。
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アップデート

2021-09-10
キリンホールディングスが、既存のAIを活用した商品開発支援システムに、
「目指す味にするために必要な原材料と工程条件を導き出すような機能」を追加したという記事を目にした。
このAI機能によって、経験の浅い技術者でも熟練した職人のように目標の味を実現できるようになり、
より効率的に商品開発が可能になるということだ。

研究開発/商品開発担当の採用の際に、採用企業が求める人物像の1つとして、
「根気強さ」があげられる。
目指す商品にするために、微妙な配合、モノによってグラムではなく、マイクロ単位で
配合を微調整しながら何度も何度も試作を繰り返して
より良いものを目指す妥協しない姿勢が大切だからだ。

しかし、キリンのようなシステムがあたり前の世の中になっていくとしたら、
AIに指示された配合をすれば良いのだから、開発担当者は自ら思考する・試行錯誤する必要がなくなり、
さらに、誰でも作れるのであれば、開発担当者は数名で良いということになるかもしれない、等と
悲観的な見方も出来る。一方で、経営的な視点で考えたら、
商品開発のスピードが驚くほど速くなり、新商品を次々につくることができるようになる。
さらに、スケールアップのテストの為に工場を止めたりしなくても良くなる等、
業務効率化が進み、経営的にはメリットでしかない。

これがメーカーでの商品開発のあたり前となっていくのであれば、
悲観的になって時代や環境のせいにするのではなく、自らに危機感を覚え、
その中で、必要とされ続ける人となるために、いかに自分の価値を高められるか、
その為に必要なことは何かと考えられる力、行動に移す力が必要である。

例えば、効率化したことで生み出すことが出来た「時間」を使って、
通常の業務分野とは違う、自己研究テーマをみつけて新しいモノづくりへの挑戦をしたり、
マーケティングについて学んだり、ビッグデータを活用して更なる「おいしさ」を研究するために
Pythonを学んだり等、個人テーマとして挑戦できることはたくさんあるのかもしれない。

世の中の変化に気づき、次のステップを踏み出せる人が、
世の中から必要とされ続ける人ということなのだろう。

自らも、現状に満足するのではなく、世の中の変化を感じ取り、
働く人たちに世の中や会社が求めていることが何かを転職希望者の方々に伝えていくことで、
「働く」ということについての、意識のアップデートに貢献していきたいと思う。
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人の真価

2021-09-03
人の真価は何で決まるか?

わかりやすい所では収入、仕事の成果、名声等だろうか。
人それぞれ答えや信念があると思うが、
日頃、なかなか考える事は少ないと思う。
例えば転職活動などの人生の岐路に立った際に、
初めてそれを問われることになるのではないか。

その際、ひとつのモノサシとして持っておきたいのは
自分という存在に、どれだけの人が集まるかという部分だ。
「肩書きが無くなっても今まで通りにビジネスや人付き合いが続くか?」
「積み上げてきたものを失っても手を差し伸べてくれる人がいるか?」

これについては、自分の父親のことを思い出す。
父は残念ながら、私が16歳の時に病気で亡くなってしまったが、
自身の価値を客観的に見つめなければならないタイミングの多くで、
父親の生き方を基に考え、決断をしてきた。

父親は、小さな映像会社のカメラマンとして働いていた。
家庭では、休日は家でグルメ番組、釣り、ゴルフの打ちっぱなしなど、
趣味を楽しむ至って平凡な人という印象しかなかった。

取り返しのつかない病気が見つかった際、
本当に多くの人達が、父親宛に激励の連絡をくれ、
自分の時間を割いて医者探しをして下さり、
気晴らしになれば、と父親を色んな場所へ連れて行って下さった。
治療の甲斐なく亡くなり、通夜当日、想定を大幅に上回る方達が
お別れを言いに来て下さり、座敷に人が入りきらないという状況にさえなった。
当時は高校生だったが、その記憶が鮮明に残っている。

父親の会社・友人・親戚をはじめ、多方面の方達から、
父親の人物像や生き様を聞かされたが、
皆言うことがばらばらだったので、
結局のところ、何が本当なのかは今でも分からない。
ただ、当時、多くの方達に支えられて立ち直れたこと。
そして、それは父親の生き方がもたらしてくれた事は
間違いないということだけは、強く脳裏に刻まれた。
だからこそ、人の心遣いや誠意を当たり前とせずに、
心からのお礼を伝え、それに加えて必ず結果報告もする。
逆に、困っている知人がいれば、直接何もできなくても、即座に心遣いの連絡を入れる。
これだけは、何があっても貫き通そうと決めている。

そのおかげかどうかは分からないが、今までの人生でも、
「どうしても助けが欲しい」と自分が思ったタイミングで、
不思議と人のご縁に恵まれてきように感じる。
まだまだ、もらってきたもののほとんどを返せていない状態だが、
助けて下さった方と同じように自分も誰かのためにできる事を考え、
どんな些細なことでもいいから実際の行動に移していきたい。
そこに自分自身の人としての真価が問われると考えている。
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