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想像力

2019-11-26
昔から遺跡などの考古学に興味がある。
遺跡を見たり、前に立ったりして、昔ここにいた人はどんな人だったのだろうか、
どのような生活を送っていたのだろうかと、想像を巡らせると、飽きることがない。
最近ベトナムのダナンに行った際も、古代遺跡を見て回り、非常に楽しかった。
解説は特に見ない。想像することが面白いのだ。帰国後、歴史的背景を知ることで、
更に興味を持つことが出来たり、新しい発見があったりする。

実は仕事も同じだったりする。
転職希望者とお会いする前、ご紹介の方からの情報だけを基に、どんな人なのか、
職場の雰囲気はどうなのか、今の会社におられるのはなぜなのかと思いを巡らす。
また、お会いする直前に履歴書や職務経歴書を見て新たな発見がある。
その方に様々な興味持ってお会いする日を心待ちにする。
人に対する興味と想像力。業界問わず、ビジネスにおいては大切なことだと思う。

書類選考において、企業の人事や面接官は戦力化できる人材か否か、隅々まで細かく
転職希望者の経歴を読みこむ。3-4頁の中でその方の何年ものキャリアと向き合う。
それは興味を持っていただくこともあれば、悪しき先入観となることもある。
履歴書や職務経歴書で、いかに自分への興味を読み手に持ってもらえるかが
選考を通過する、強いては好印象な状態で、面接に突入するポイントとなる。

多くの方とのご面談を通じ、ただ、求人案件をご紹介するだけでなく、
伝える、想像させるという技術をお教えできるような、
キャリア提案を意識して取り組んでいる。
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JOKER -ジョーカー-

2019-11-11
※多少ネタバレありなのでご注意ください。

最近始めたことなのですが、映画鑑賞や美術鑑賞・舞台鑑賞など、
1か月に一度は様々な芸術に触れる機会を持つようにしています。
ただ鑑賞するだけでは「素晴らしかった~!」で終わってしまうので、
学んだことや感じたことなど、ブログでアウトプットさせていただきます。
第一弾は、アカデミー賞も確実と言われる話題作、映画「ジョーカー」です。

本作はR指定なのですが、その内容から上映にあたっては
ロサンゼルス市警やFBIが警戒態勢を取るほど、
色々な意味で、様々な人の心を揺さぶる作品であると思います。

まず私が絶賛したいのは、ジョーカー役を演じた、
ホアキン・フェニックスの演技です。圧巻です。
ジョーカーのあらゆる不安定さ、狂気を細部にわたって表現しています。
貧困ゆえに肋骨や肩が浮き出るほどに痩せた男、
「失笑恐怖症」ゆえの悲しみ・絶望が混じる笑い、、、。
プロフェッショナルとはこういうことを言うんだろうなと思い、尊敬しました。
ホアキン・フェニックスの演技を見るだけでも価値があると思います。

「ジョーカー」について初耳の方のために、ザクっとあらすじをお伝えすると、
バットマンの宿敵で有名なジョーカーのオリジンを描く物語です。
コメディアンを目指しピエロメイクの大道芸人として、
病弱な母親を支える心優しい面を持つ「アーサー」が、
徐々に狂気の道化「ジョーカー」へと変貌していきます。
社会的な背景も重要なのですが、描かれる時代は経済格差が激しく、
チャップリンの喜劇(非常に象徴的です)を劇場でみながら大笑いする富裕層と、
ゴミ清掃会社のストライキによってゴミが街中に溢れ、
職も金もなく、薄暗く不気味な空気に蔽われるゴッサムシティ。
アーサーは社会の片隅のさらに片隅に追いやられているような存在です。

さて、映画の感想ですが、何と表現したらいいのか非常に難しいです。
本作を観てどう感じるのかは、観客一人ひとりに問われているように私は感じました。

単純に「社会が悪を生んだ」ととらえる見方もあると思いますが、
後半の重要なシーンで、ジョーカーが『善悪は主観によって決まる。
笑いも同じだ。』と真顔で言うのですが、
ハッとさせられ、ここに全てがあるように思いました。
悪を生んだ社会が悪いという考えや、逆に悪を正当化してはいけないという考えだろうが、
この作品ではそこの社会性についてはあまり重要ではないのだと思います。
むしろ、私自身が思う正義とは何か、幸福とは何か、私の主観を問われているように感じました。

今はインターネットやSNSなどで真偽は不明な情報や他人の意見が
溢れる中で私たちは日々生活しています。情報の中に埋もれ流されて
生きているのかもしれません。または、傍観者になりすぎていることもあると思います。
そんな時代だからこそ、自分は何を考える?何を思う?と自分の考えを持ち、
自分の正しいと思う軸を持つことの大切さを考えさせられました。
誰かの悲劇の傍観者になっていないだろうか、と自分自身が問われた気持ちになりました。
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失って初めて気付く大切なもの~

2019-11-05
よく聞く歌の歌詞に一つはありそうなセンテンスだ。
最近この歌詞のような体験をした。

先日急な体調不良になり、病院へいくと食物アレルギーの疑いがあると
アレルギー検査を受けることになった。
前日に食べたものをもとに検査項目は『卵』『小麦』『ウリ科』『ナス科』。
検査が出るまでどれが体調不良を引き起こすものかわからない為、
一週間上記の項目のものに当てはまるものが食べられなかった。
食事の時、食べるもの・原料に気を付けなければならず大変だったが
特に困ったのが『卵』『小麦』だ。
主食としては米以外の麺類・パンはもちろん小麦粉が使われていることを始め、
米は大丈夫だからと、カレーを手に取ると物によっては小麦粉が使われている。
他、大好きなチョコレートには鶏卵を使っているものもあったり、食事以外のおやつ
も制限された。

一週間後、結果は検査項目で『小麦』のみがセーフ。
卵はやはりダメだったのだが、小麦製品が食べられることに安心したし
久しぶりに食べた時のありがたさ・おいしさはひとしおだった。

もちろん他のひっかかってしまった検査項目の食材を食べられないことは
非常に残念だが、今食べられるものの有難さを知ることが出来た。

『今あるもの』への実感、今身の回りにあるもの、環境に対しての有難さというのは
日常では感じにくいのかもしれない。
ただ、振り返ることは出来る。

少し飛躍するかもしれないが、自分の職務経歴書を
書いている時にも同じようなことを感じた。
当たり前にあった環境を一つずつ振り返り、
なにをやってきたか、どんな状況でどんな気持ちでいたか。
当時は通常だったことも、振り返ったその時には
ありがたいことだったのだなと感じることが出来た。
同じ時はもちろん来ないので、今ある環境で出来ることをする。
これまで親をはじめ人生の先輩方には幾度となく言われてきたが、
そういうシンプルなことが、失ったときに後悔がなくなる方法で
感謝の気持ちはなんらかのターニングポイントで、
納得感を持ってきてくれるのかもしれない。

ふとした時に、振り返りと環境への実感は忘れないようにしたい。
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