おもいやり週間

2017-08-28
先日、ホームで電車を持つ列に加わり、やっと来た電車に皆が乗り込もうとした瞬間、
横からベビーカーを押した3人家族が我先にと入り込み、
誰よりも先に乗車している光景を目にしました。
その列に並んでいた人たちは皆、唖然としており、怒っている人さえいました。
別の列に並んでいた私は、客観的にその様子を見ていたこともあり、
それぞれがどんな気持ち/考えだったのだろう、と電車に乗りながら考えていました。

恐らくその家族は、ベビーカーを押しているから乗車が遅くなると危ないという考えがあり、
それに「赤ちゃんが乗っているから、周囲が譲るのが当たり前」だと思っていたのかもしれない。
一方、その他の乗車客は一般常識として「順番を守る」というのは当たり前だし、
その時の家族連れの自分勝手な行動にイラッときたはずである。
一人ひとりに聞いて確認するわけにもいかないので、
実際のところはどう思っていたのかは分かりませんが、
お互いが、己の持つ正義を主張している事に間違いはなさそうです。

このような「とらえ方の違い」って、
日々の生活の中でも夫婦や恋人同士の間にもよくありませんか?
「意見が異なる」ということだけではなく、相手の真意も確かめずに
自分の思い込みによって誤解が生じ、すれ違ってしまうこと。
あとで少し冷静になって相手の気持ちを考えてみたり、話し合ってみたりすると、
単なる勘違いだったり、言葉に背景や意味があったり、共通認識だと思っていたらそうでなかった等。
いずれにしても大切なことは、月並みですが
「相手の立場になって考えること」『思いやり』なのではないかと思います。

人間関係を円滑にするために重要なことでもありますが、
この「相手の立場になって考えてみること」は
“仕事ができる人”を目指す上では、必須スキルだと思います。
ビジネスの世界でも「相手の立場に立って、相手の気持ちを考えて」
という場面がたくさんあるはずです。
「当たり前でしょ」と思った方もいらっしゃると思いますが、
実際は意外に難しいものではないでしょうか。

相手の気持ちになって考えているようで、自分の利点ばかりにとらわれ、
都合がいいように考えが塗り替えられていることもありますし、
前途のエピソードのように、自分の正義は相手の正義ではないことも多いわけで、
分かるようでわからないのが「相手の気持ち」なのだと思います。

私たちは人と接する仕事をさせていただているため、
相手の立場に立って考えることを常に意識するようにしています。
無理にでも意識して冷静になる間を作らなければ、
自分勝手な解釈と正義を押し付けることになってしまうからです。
それだけやっても、良かれと思ってやったことが顧客にとっては
単なる押し付け、余計なお世話だったということもあります。

この当たり前ともいえる「相手の気持ちを考える」という感覚が欠如していると
日常のあらゆる場面で感じるときがあります。
たとえば、道でぶつかっても、電車の中で足を踏んでも
「ごめんなさい」って言わない人が結構いて、怒りを通りこして呆れることがあります。
エレベーターの「開」ボタンを押して乗り込む人を待つ事すらできなかったり、
道端で落としたものを拾ってもらっても「ありがとうございます」のお礼も言えなかったり。
いったい日本ではどんな教育をしているんだ!と思ってしまいます。
(もちろん、自分もまた、然りな部分もあると思いますが…)

小学校のときに、「読書週間」とか「運動週間」とかよくありましたけど、
子供も大人も参加する「思いやり週間」を作って、
その週は相手のことを思いやる言葉や行動を心がけるっていうのはどうでしょうか?
「相手が喜ぶことをしよう!」「ありがとうと言い合おう!」など。
想像するだけで、何と平和な世の中になるのだろう・・・。

まずは、朝は大きな声で「おはよう」から始まって、同僚が何かしてくれたら「ありがとう」
顔色が悪かったら「大丈夫?」と声をかけるなど、自分にとっての「思いやり週間」を作って、
取り組んでみることでも、何かが変わるきっかけになるはずです。
また、家族だからこそ「わかってくれているはず」等と思い込み、
相手の気持ちをないがしろにしがちですが、相手をいたわり、
「ありがとう」という魔法の言葉を身近な存在にこそ使ってみてください。
家庭から職場へ、職場から社会へ、優しい輪が広がると
経済にも影響を及ぼすような力に変わるのではないかと思えてきます。
希望的観測も含め、そんなことをふと思いました。
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マニュアル

2017-08-21
夏休みに、子供を連れてリゾート施設に二泊三日で泊まりに行った。
掃除が行き届いた部屋や、スタッフのきびきびとした対応が気持ちよく、家族で快適に過ごす事が出来た。

その中で、特に印象に残った事があった。
一日目、ホテルのビュッフェレストランで夕食を摂った時、
未就学のまだ小さい子が、体調が優れず、何も口にしなかった。
その事について、こちらからは何も言わなかったのだが、
最終日にチェックアウトした際、フロントで言われた金額が計算と合わなかった
(言われた金額が私の計算より少なかった)ので聞いてみたところ、
「お子様が何も召し上がらなかった日がありましたので、その分のお会計は結構です」と、
フロントの方が、当たり前の事のように笑顔で言ってくれたのだった。
また、別のスタッフの方が、「またのお越しを心よりお待ちしております」と言ってくれて、
その時の心のこもった言葉や微笑みも印象的だった。

上記を帰り道に思い出して、素敵な人達だったなあ、また泊まりに行こう……と感じた。
丁度、ある高級ホテルチェーンに関する「マニュアルを超える接客」という記事にたまたま触れ、
上記の出来事を振り返って、きっと、あの対応はマニュアルにはないんだろうな、と思った。
あったとしても、心がこもっているから、人の心を打ったのだと思う。

マニュアルは、最低限のサービスレベルと、外面的な行動を規定したものでしかない。
真に人を満足させるのは、人の心をくみ取り、状況に応じて、柔軟に対応出来るか、という事ではないだろうか。
私が夏休みに宿泊した施設のスタッフの方々は、きびきびと気持ちよく働いていて、
型通りではなく、こちらの事情に合わせて、心のこもった対応をしてくれた。
私自身も、お客様に接する仕事を行う身として、同じような顧客本位のあり方を追求していきたい。
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大人になっても能力開発/好きなことをやろう

2017-08-16
子どもの能力を伸ばしたい場合、能力を高めるのに好きなことをやらせる
という親も多いと思います。能力とは「脳力」とイコールになっていて、
その脳力の内訳は「記憶力・判断力・独創力」と定義されるそうです。

また、その中の独創力は想像力・創造力に分けて考えられるそうですが、
脳力全般を伸ばすためにどういう方法があるかというと、
まず挙げられるのが「内発的動機づけ」というものになるそうです。
自分自身が心の底からやりたいと思うこと、
ある物事をやっていること自体が楽しいという状態を指しています。
「自分自身がやりたいこと・自発的にやっていること」=「遊び」は
楽しむためにやる活動だと思います。その遊びは生きがいと連動しており、
これが非常に重要で、愛や安全、奉仕や名声、お金などの生きる上での
価値観を形成する基盤になるとされています。

例えば、上記の様な価値観を子どもの中にもきちんと形付けていくのに
どういう方法があるかと言うと「児童文化活動」の質を高めるというのがあります。
できるだけ子供に「良い」思えるものを、たくさん与えることが脳力向上に役立つそうです。
おとぎ話などの児童文化をたくさん聞く事は子ども達にとって、
理解するのも大変ですし、当初は難しい事も多々あると思います。
しかしながら、耳にした多くの物語が子どもの中に価値観を作り上げると言われています。
「世の中は生きるに値するのだ」という事を教えるのには、
昔話やおとぎ話などの児童文化と触れ合う事が非常に効果的であり、
その様な環境を作り出すことこそが親の使命であるともされています。

町を歩いていて絵本に登場するような「喋る犬」などには会えないものの、
子どもは絵本の力を借り、母親の文学的語りで聞いて、イメージを作り出しています。
愛情や正義など世の中で大事とされる価値観は目で見る事はできませんが、
一方で人間は目に見えないものでつながり、信用されたり信頼したり愛し合ったりしています。
無駄な嘘を教えない親に育てられた子どもは、抽象的な概念で物事を捉え、
人間性を育むことができます。

上記において、一番大事なのは良い指導者が近くにいることだそうです。
例えば、子どもの立ち居振る舞いや言動というのは親の背中を見ながら育まれ、
また、親に対して反発することで自己主張をする様になります。
子どもたちの見本として、近くにいる大人の生き方・生き様こそが
『脳力』を開発する最も大きな要素になっていくのです。

成人して、社会に出て一人で自立した生活を送るようになる中でも
身近な「メンター」という存在を置く事は多くの企業で実践されています。
人間の奥底に眠るものとして「内発的動機」は大人になっても変わらないものです。
社会の中で「個」として自立し、人生を豊かにしていくためには
「現実をいかに楽しむか」がカギとなりますが、大人になってしまうと
その様な教育をしてもらえるチャンスは少なくなります。

元々持つ「内発的動機」と社会から影響を受ける「外発的動機」。
その狭間に立たされた時、ブレない価値観や感覚を持つ事と
心の豊さやモラルと社会に貢献する為の洗練された感覚を持つ事で、
大人になっても人間は心の成長をし続けます。

面談にお越しになられる方々一人一人の「育ってこられた家庭環境」や「境遇」、
その中で形成されてゆく「価値観」などを大事にしながら、
その方に合う企業をご紹介させて頂いております。
私たちも転職という人生の大きな岐路に立つ求職者様の道標となるよう、
日々たくさんの事象・事例の中から選択肢を提供できるように、
自分自身が多くの体験を話せるよう『脳力開発』に勤しんでおります。

大人になるとやりたいことができない、自分に言い訳をつけて行動できなくなることは多いと思います。
一度しかない人生で最高の選択をしていただけるよう全力でサポートしていきたいと思います。
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負けの価値

2017-08-07
破竹の勢いだった将棋の藤井四段の連勝がストップした時、
少し残念ではあったが、これで良かったという気持ちにもなった。
いかに天才とはいえまだ14歳の中学生。
背負える許容量はとっくに超えており、
過度な負荷は今後の成長にプラスにならない気がしたからだ。

人生はよく、細かい選択の積み重ねであると言われる。
そして、選択にはたいていの場合競争が伴うし、
競争となれば、必ず勝者と敗者が決する。
将棋でも受験でも恋愛でも出世でも、全てにそれが当てはまる。
当然だが、誰しも負けたくはないので勝つために反省や努力が生まれ、
また負けて努力して…を繰り返し成長していく。
多分これが、誰しも思い描く真っ当な思考・行動パターンだろう。
しかし、負けることがあまりにも大きな苦痛や代償を伴う場合、
チャレンジする事自体を避ける、というパターンに陥りかねない。

人材紹介の仕事をしていて様々な職種の方と接するが、
多くの場数を踏み、勝負にこだわってきた人の方が
実は負けることに対して寛容であるように思う。
正しい負け方、次につなげる負け方を知っているからだと思う。

勝負する機会がなければ負けもないが、
同時に、自分の限界がどこにあるかを知る事も出来ない。
自分の限界が分からないと、正しい努力の仕方や反省ができないので、
結果として、今までの自分の感覚や経験則の中だけで巡る事になる。
だからこそ勝負する機会は不可欠であり、
負ける事にも大きな意味があるのだと思う。

将棋では、勝敗が決した後に「感想戦」というのを行い、
戦ってきた一局を対戦者同士で再現することが慣例となっている。
負けた方は悔しさが残る状態でどうすれば良かったかを振り返り、
勝った方は満足感をクールダウンさせてさらなる高みを目指す。
つまるところ、本当に勝負をしている相手とは「自分自身である」という
将棋の精神性を体現したものらしい。
藤井四段が実年齢よりも随分大人びた発言をする事にも合点がいった。
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