TPP大筋合意を迎えて

2015-10-26
TPPがようやく大筋合意を迎えた。
関税が撤廃される項目の一覧を見ると、
今後起こるであろう変化の大きさに、改めて驚く。

農産・畜産を始めとして、輸入脅威論が叫ばれて久しいが、
個人的には、「貿易自由化は必然的な時代の流れで、止めようがないため、
是非を論じるよりは、自由化の中でどう生き残り、
拡大していくかを考えた方が良い」と思っている。

関税が撤廃・縮小されると、農産物の輸出が増えるが、
これに伴って、関連サービスの海外進出も拡大する。
そのサービスに必要な技術の海外進出も進んでいく。

日本の農業の技術は、世界でも最高クラスの水準にあるという。
日本の品種や日本農家の進出を待っている海外の農家は多いという。
季節が正反対の南半球で、日本と半年ずらして果物を作り、流通を通年化した例もある。

種子・種苗を例に取れば、外資系の超大手バイオメジャーが
スケールメリットを活かし、需要が最も多い穀物種子を展開するのに対し、
日本の種苗メーカーは、ニッチな野菜種子の品種改良を手掛け、
東南アジア等に進出している。欧米と異なるモンスーン地域向け製品は
手間がかかるため、バイオメジャーは参入しないが、
地形が南北に長く、気候が多様な日本だからこそ同地域に対応できる。
小回りがきく日本の特徴を活かした事業展開だ。

農業先進国オランダでは、国策で、シリコンバレーならぬフードバレーに
研究拠点が集結しているが、日本では、技術が一か所に集中することなく、
全国各地の農業センター、大学、農家に点在している。
コシヒカリ、はえぬき、つや姫のようなブランド農産物を生んだのは地方だ。
日本も研究拠点を一つに集約させるべきだという議論もあるが、
今のあり方も日本の豊かさではないかと思う。

上記のような豊饒な日本の技術が、これから海外に更に展開していくことを考えると、
さながら“大航海時代”であり、農業好きの人間としては楽しみでもある。
厳しい状況下、各社様とも生き残りに必死であることは私も承知しており、
ロマンだけでご飯が食べられないのは事実だが、ロマンは持っていて良いものだと思う。

弊社は、上記のように優れた技術や製品を持ち、社外にご紹介したいという企業様や、
自社を更に強化するため、優れた人材を社外から招きたいという会社様、
更に良い形でキャリアを構築したいという求職者様をご支援している。
上記のような企業様に優秀な人材をご紹介し、
「えっ、こんな人いるの?!」と言っていただいたり、
求職者様から「思いがけない提案・アドバイスで勉強になった」と言っていただくのは
非常に難しいことだが、その難しさに挑戦し続けたいと考えている。

そのために、一人でも多くの求職者様、一社でも多くの企業様に出会いの場を
ご提供できるよう、今日も求職者様とのご面談、企業様へのご訪問を行っていく。
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プランドハプンスタンス

2015-10-22
私は前職で今のような人のキャリアの支援をすることを夢みていました。

しかし、自分のキャリアを変えるなんて、
守るべき家族もあり、半ば諦めていたのも事実で、
どうせ自分なんかがと後ろ向きな考えをもった時期もありました。

と同時に、自分の中では現状を変えたい、もっと向上心を持って働きたいと強く思っていました。

するとある日、CDAの集いで現職の代表から声が掛かったことをきっかけに、入社。
現在はキャリア構築の勉強を日々行い、お客様の支援を行っているわけです。

先日、『これは偶然なのでしょうか、ただ、運が良かったのでしょうか。』と
現在も親しくさせて頂いている大学の教授に聞くと、
プランドハプンスタンスだね、と言われました。

プランドハプンスタンスとは「計画された偶発性」理論のことです。
スタンフォード大学のジョン・D.・クランボルツ教授が提唱したキャリア論です。
私共が支援させて頂いている企業様人事担当者様や、大学の進路指導室の方々が良く、
口にされ、耳にすることが多くなりました。

私の見解では叶わないと思っている願望は多分叶いません。
でも叶えたい夢や目標を強く描くということは言葉に表れ、行動に表れ、必ず周囲に影響を及ぼします。
その想いから行動した結果、偶然ではなく必然に変わり、
実は自分は意識していないが、それは計画的に自分がアンテナを張って、
努力した結果と言う必然に繋がって行きます。

なりたい自分を想像し、強く想う。
そして自分像に近づくには何をしたらいいのかを考え、実行し、前進していくと、
数少ないかも知れないですが、チャンスが訪れるものだと思います。
そのチャンスを掴めるかどうかも日頃から強くなりたい自分像が
はっきりしている人は掴めるものなのだと思います。

この一連がプランドハプンスタンス。
結局、人生偶然というものは無いのかもしれません。
全ては自分の気持ちと行動で開けるものかもしれません。
現実を受け入れ、自ら道を切り拓いて行く。
キャリアにも共通して言えます。

自分の人生を切り拓いて行きたいとお考えの方々に起こる
プランドハプンスタンスのきっかけになるような人生の拠り所としてコアが必要とされるよう、
これからもおひとりお一人に対して真摯に向き合って行きたいと思います。
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ナバホの想い

2015-10-13
先日都内某所にてナバホ族の巨匠「A氏」が来日し、
インディアンジュエリーの制作デモンストレーションとトークショーが開かれた。

インディアンジュエリーとはその名の通りインディアンが作ったシルバーや
ターコイズをあしらった装飾品であるが、その歴史は古く、深い。
だからこそ現在でもムーブメントとして文化を築いていると思われる。
彼が語ったインディアンジュエリーの歴史を少し紹介してみる。

紀元前900年頃から先住民であるネイティブアメリカンはジュエリーを
作っていたとされる。そこへ16世紀スペイン人によって銀が持ち込まれ、
ジュエリーは大きく変化する。
 1840年頃のナバホ族の一人がスペイン人から鍛冶を学んだとされる。
当時の銀製品は粗雑なツールで作られており どれも現在のインディアンジュエリーとは
かけ離れたものだった。しかし金属を溶かすための容器や紙やすり、
送風機などを作り品質の向上に努めた。これを古典期と呼ぶ。(第1フェーズ)

 1900年頃、フレッド・ハービー社というホテルやレストランなどを経営する会社が現れる。
フレッド・ハービーはインディアンジュエリーに目を付け、レストランなどで販売するようになり、
商業化の波に乗る。ジュエリーの需要が高くなるとハービー社はこれらを機械で作るようになる。
ジュエリーは安く多く売るために、薄いものが作られる。粗雑なジュエリーは流行せず、
インディアンジュエリーの需要は減り続けた。

一方で1900年代以降ネイティブアメリカンはツールを改良することで技術を向上させ、
今日のようなスタイルのインディアンジュエリーが作られるようになった。
しかし、その数は極めて少なかった。この頃に作られたジュエリーをオールドポウン(古い質)と呼び、
特に1910~1930年頃に作られたジュエリーは現在でも評価は高い。(第2フェーズ)

第二次世界大戦が終わると、アメリカでのみ人気があったインディアンジュエリーは
世界中で人気が出て価格も高騰した。 1980年代以降、「価値」が認められる時代になり、
ゆっくりと確実に需要は増え続け、今日にまで至る。
ネイティブアメリカンにとってインディアンジュエリーは家族の誇りであった事には間違いない。
収穫の時も、家族との別れ等、苦しみの時もいつもジュエリーを身にまとってきた。
「A氏」は昔ながらの製法でジュエリーを創り出す。日本の「サムライ道」に似ていると彼は言った。
彼もまた刀鍛冶のようにハンマーで何度も何度も自分の作品を打ち続け、創り上げていく。
彼はインディアンジュエリーを単なるジュエリーではなく、「芸術品」と呼ぶ。
時が経過すると価値が増していく物と定義づけていた。動画撮影禁止で、
神聖な歌やまじないのような動作をしながら制作に入っていった。「芸術品」か「工業品」かを
考えることをまずして欲しいとも言っていた。

人材ビジネスも同様で「商業化」おける大量生産の廉価品の流出は減少することはない。
型に溶かした金属を流し込んで、磨く作業員を配置する工場や、総指揮をナバホの職人が担当し、
実務はアルバイト、パートの作業員が担当するように、多くの企業が検索をし、機械的にスカウトをする。
我々コアは人材ビジネスにおいて商業化、効率化による「工業品」ではなく、昔ながらの方法で、
いい意味で非効率にこだわり、時が経過すると価値が上がり、必要とされる「芸術品」としての仕事をしていく。
昔ながらの銀塊から切り出し、カナヅチで丹念に打ちながら、スタンプワーク、リボウズなどの技術を
ふんだんに使い制作していくように、無数の転職希望者からこだわり抜いてサーチし、打ち合わせ、
棚卸を行い、新しい働く事の価値を伝える。求職者の将来は充実し、企業は発展をし、時が経過すると
価値が増していく。

そんな集団を目指し、志を高く持ち、一歩一歩進んでいく。
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三つ子の魂に逆らえるか

2015-10-06
今でも「三つ子の魂百まで」と根強く言われています。
今月で息子が3歳になるので、他人ごとではありません。
欧米でも同じ様なことわざが存在している事もあり、
世界共通の認識として、科学的にもこの考え方は支持されている様です。

とはいえ、これは親の経済力だとか教育方針、生まれ育った地域など、
本人ではどうしようもない部分で決定されるものなので、
もしプラス材料があったらラッキー程度に捉えておくのが
健全ではないでしょうか。
人生は平等ではないと思いますが、
スタートだけで決まるわけではないとも信じています。
大人だからこそ思考によって、思い切り、三つ子の魂に逆らいながら
生きていく事も出来るのだと思います。

大人は「これが限界」と無意識に固定化してしまいがちですが、
例えばこの「三つ子」という表現をもっと広い意味でとらえ、
「何かを志してからの一定期間」だとすると、
やってやろう、というモチベーションが上がってきます。

人は生きている中で何回も三つ子の状態、
つまり成長するチャンスを得ていると思います。
何か新しい事に対して多くのチャレンジをする人、
今までのやり方に変化を加える努力を継続する人は、
他の人よりも息の長い伸び代を持っており、
結果的に成長余力を引き出せることになります。

人材コンサルタントという仕事も、
転職を志す方のこれまでのキャリア、
つまり「何かを志してからの一定期間」と向き合います。
親ではなく、自分で選んだこれまでの三つ子の期間で、
何回の勝負をして、どんな成長を遂げてきたのか。
そして次の3歳の期間をどのように過ごすのか。
その魂に触れる仕事だと実感しています。

コンサルタントとしての私も、また、企業としてのコアも
まだまだ三つ子の期間だと認識しています。
自分たちの魂が百まで語られて恥ずかしくない存在になるまで、
子供に負けじと、新しいチャレンジを繰り返してまいります。
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