一流 その4

2015-02-24
今年から新卒採用要綱が変わり、各社も新卒スケジュールを後ろ倒しにされており、
例年よりも圧縮して新卒採用活動をやっているようです。
より多くの学生を面接したいという想いからか過密なスケジュールが採用担当者を激務にさせているようです。

私の友人の一人も、某企業の人事として新卒担当をしております。
やはり相当忙しく、スケジュールもかなり圧縮しているようです。
先日話をしていたら、このような話題がありました。
「面接で厳しい事を言ったら、ネットで晒された。嫌な時代になったものだ。」と。
詳しく話を聞いてみたところ、志望動機を確認する中で友人が発した言葉が、
学生にその様な行動をさせたのではないかとのこと。
そのフレーズとは、「その志望意欲であれば、うち(友人が勤める企業)じゃなくても良いというように聞こえるけど」とのことでした。
私は、その言葉で癇癪を起こすことはないと思い、もう一度聞いてみました。
そうしたら、言葉は確かに間違いないのだが、少しスケジュールに無理があり、疲れもたまり、態度に出ていたようです。
これでは、面接の様相は全く別のものになってきます。

学生も暇ではないですし、ましてや志望してきてくれているだけ、ありがたいと思うことが通常の考え方と考えます。
それなのに、自らの忙しさから来る疲れが、表に出てしまったのです。
それゆえ、自社のファンを一名減らしてしまう事案に繋がるかもしれないという結果になっています。

人事職が会社から命じられることとすれば、「良い人材を採用しろ」ということになるのですが、額面通り受け取っていては、話になりません。
言い換えると、自社のファン(見込みファン)をどうやって引き込むか考えて採用活動しろ、というのが正しいと思います。

私が考える人事職のマインドや面接への姿勢などを話した後の、友人の返答に閉口した。
「指示されてなければわからんし、会社がそこまで求めているかも定かではない」
何とも浅慮な返答です。
会社から命じられる、命じられない関係なく、人事職として名刺を持つ以上、
当たり前の覚悟と考え方だという概念を持っていないようです。
もっというと、言われなければ分からないと言い張ってしまうのは、社会人としていかがなものでしょうか。
友人同士で話しているからなのか、あまりにも想定外の返答であったため、少し驚きました。

何を一流というかは人それぞれだと思いますが、
●自身の状態がどの様な状態であれ、常に最高のパフォーマンスを出す
●言われたことを遂行するのではなく、言われたことを考えたうえで遂行する
●人からアドバイスをもらったのであれば、素直に聞く

この友人との対話から、上記の3ポイントが少なくても挙げられます。
これは、弊社の代表からも教わっています。

一流というのは、様々な条件があると思います。
人の振り見て・・・、というのは良く言ったものですが、今回は上記3ポイントが不可欠であることを認識し、
改めて自身のルール化としていきます。

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認識のズレへの気づき

2015-02-16
先日、2歳になる息子の保育園の個人面談に行ってきました。
家では見ることができない、園内での友達や先生とのやりとりがどんな様子なのか興味深かったので、ぜひ話を聞きたいと考えて参加を決めたのですが…。
実際には少々肩すかしの内容でがっかりする結果になってしまいました。お互いの目線が違う、といいますか、保育園の先生方は園のルールの確認と徹底、親に対して「伝えた」という事実を作りたいという場であったからです。
先生方は職務を全うしているだけで何の罪もありませんが、保護者の期待値からすると拍子抜けで若干の不満を持ったのも事実でありました。

自分が相手にして欲しい事、あるいはしてもらって当然と考えている事が、実際には相手の気持ちとは大きなギャップがあった、というのはよく聞く話です。
単純な事ですが、人はそれぞれが意図や意志を持って行動しているわけですし、例えばそれが仕事上の付き合いであれば、なおさら「利害関係」という枠の中で、全ての言葉や行動は自己の利益に強く誘導されているはずです。
たいていの場合、ずれている事を前提にスタートしていると思った方がよさそうです。

お客様が何を求めているのか、そしてどうやってそれに応えていくのか、というのは我々の仕事でも軸に据えるべき要素ですが、この業界においても保育園で起きたような出来事というのは珍しいケースではありません。
働くという事がどんな意味を持つのか、何をもたらすのかというのは人それぞれで大きく異なるものです。
ベンチャーで新しい価値を創造し組織を作っていく事が楽しいと感じる人もいれば、安定的な土壌でじっくりと仕事に取り組みたい人もいるわけで、この時点ではどちらが上でも下でもありません。
にもかかわらず、キャリアアドバイスをする側の先入観で話をしてしまえば、相談にみえる方からすると単に押しつけでしかなく、無駄で納得感のない時間になってしまいます。
この業界では絶対にしてはならない「きほんのき」の話ではありますが、慣れやパターンが先行し過ぎると気づかぬうちに陥ってしまう危険性がある事を忘れてはいけないと思います。

サービスや財を提供する側は、自分たちの論理や理念を大切にしながらも、その中でいかにお客様の考えや感覚に近づいていけるかをチャレンジし続けるべきだと思います。
それがいわゆるホスピタリティや差別化というものにもつながっていくと思うからです。
また、今回の件で思うのは、逆にサービスを受ける側の立場になった時に、いかに相手の論理の枠を把握してこちらが欲しい内容に近づけていくのか、そのためにどんな準備が必要なのかを相手以上に考えて、その場に臨むべきだということです。
日常生活における様々なシーン、仕事で、飲食店で、買い物で、習い事で、家庭で…etc。全てはやはり人間関係、相手が存在する所にはその分の意志が存在します。
ただ漫然と相手と対峙してしまうから、その温度感の違いにフラストレーションを感じてしまうのではないでしょうか。
自分の準備ができていれば、その場で処理できる事、そもそも感じない事も多々あるような気がいたします。

ただ、あらゆることに神経尖らせて考えてしまうと、もうそれ自体が過度なストレスになっているというジレンマが…。
やはり、人間関係というのは一筋縄ではいかないものです。

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アナと雪の女王

2015-02-04
紅白歌合戦にも出演した、「アナと雪の女王」英語版の主題歌を歌った歌手が、初来日するという。
テレビで特集を放映しており、英語版主題歌の歌詞と、対訳が紹介されていた。

訳を見て、意外だった。私は洋楽を聴かないので、英語版の歌詞を知らず、
オリジナルと日本語版の歌詞は、大体同じ意味だと思っていたが、
こんなにも違うものなのかと感じた。

テレビでは、英語版の直訳も紹介されていた。
それを見ると、英語版の意味を、日本語の限られた字数にそのまま移し変えるのは、無理があると感じた。

歌詞の中には、「英語ではこう言っているのが、何故こういう日本語の表現になるのだろう?」と
思う箇所がいくつかあり、思わず考えこんでしまった。
例えば、下記のような表現だ。

A kingdom of isolation / And it looks like I’m the Queen
(直訳:孤独の王国 / 私は女王のように見える)
→日本語版歌詞:真っ白な世界に / ひとりのわたし

The cold never bothered me anyway
(直訳:寒さは二度と私を困らせなかった)
→日本語版歌詞:少しも寒くないわ

私が思いついた答えは、「ニュアンスを伝えることに専念しているから」というものだった。
歌の目的は、聞き手に感動を与えたり、映画に彩りを添えることであって、
歌詞の意味を正確に再現することではない。学校のテストでは×なのかもしれないが、
この場合は、普段聞いている日本語版の歌が“正解”ということなのだろう。

そう思うと、日本語の歌詞は、“超訳”と言えるかもしれない。
オリジナルと全く同じ意味というわけではないが、雰囲気はしっかり伝えている。
おそらく、訳者は、一度自分の中で、原文の意味を完全にそしゃくした上で、
新しい歌として、創り出したのだろう。

上記は歌の例だが、ビジネスでも同じことが言えると思う。
何か良い話を聞いたとして、借り物の言葉で語っても、聞き手の心を動かすことが出来るはずがない。

良い話を聞いたり、読んだりしたら、聞きかじってきたような話し方をするのではなく、
一旦、自分の中で噛み砕き、自らの体験に置き換え、自分の言葉で話す。
人に発信する際のルールとしたい。
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塩野七生の政治論

2015-02-02
年が明け、そろそろ引越しをするというので、荷物の整理をしていた。
ひょっこりと読まないままカバーが掛けられている本が出てきた。
塩野七生である。2010年に出版された本だ。
思い起こせば会社を設立して間もない頃、読む間もなく過ぎていっていた頃だ。
読んでからリサイクルにでも出すか、と思い読み始めたら止まらなくなってしまった。

塩野七生独特の滑舌、言い回し、ズバズバと日本の政治家を斬ってゆく。
肉食な欲望に冷静な目。
正月そうそう、スカッとした。「求めない」で始まる詩をすべて「求める」に替えて書き直していたりするところは思わず笑ってしまった。
海外では自分の価値観を問われることが多く、自然にはっきりした意思表示をする習慣ができる。
私も日本へ戻って10年以上経ち、いろいろなしがらみ?にもまれ、いつの間にか「和」な感じで人と人の間に立ち、良い意味で物腰も柔らかくなってきたのかもしれない。
がその一方、独自の意思・思考というものを日々忘れがちになる。
アベノミクスで経済社会情勢が大きく変わる中、昨年と同じ手法では対応できなくなってきている。
マーケットニーズも大きく変わっている。このような状況に対応していくにはどうしたらよいか?
それは、自己で冷静に状況を分析し行動に移すことである。
常に改善策を準備し仮説に基づいて判断、そして最後には自らの理論を構築していく力が必要だ。
瞑想とも言えるほどの思考の「青さ」、深さ、そして両輪でそれを実行していく「赤い」情熱が必要だ。

さて、塩野七生は当時の阿部首相について、「阿部首相擁護論」という見出しの中、阿部首相を擁護するのは言論に生きる者としては自殺行為に等しい、と前置きしつつも、首相の座に居坐り続けるべきだとしている。
そして、政治思想家ではなく政治家をやっていただきたい、と注文をつけている。
確かに、当時は首相就任と同時に「美しい国へ」などというおかしな思想じみた本を出版した。
どうせ最初からお膳立てされていた、順番で回ってくるだけの首相の座へのデビューを華やかに飾りたかっただけだろう。読んですらいないが、確かに当時の彼は政治思想家であった。
果たして、2010年から5年が経ち、再び首相の座にいる彼は、一応「政治家」をやっていると僕は思う。
しかし、アベノミクスにもほころびが見え始めているのも否めないところだろう。
物価上昇を目標に掲げているが、来年度の物価上昇率は当初目標の1.7%を大幅に下げて1.0%にするという。
一部の大企業は賃上げもしているものの、中小企業では賃上げを躊躇う声が大きい。
改革とは腹を決めて一気に突っ走ること、と言う塩野七生ならなんと斬るのか、古代ローマの政治家を知り尽くした彼女に聞いてみたい。

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