不確実性の時代に働く

2013-12-28
師も走る12月。あっという間に1年が過ぎ去ったことを感じながら、
時折、今年がどんな1年だったかを振り返る機会も多くある。

スラングに近い用語であった「ブラック企業」という言葉は、
今年1年で広く一般に認知をされ、企業のイメージを表現する際にブラックかブラックではないかは、
1つの基準とまでなっている。

また、「ブラック企業」というネガティブな認定をしようという動きもある中で、
働きやすい「ホワイト企業」という言葉を広げるような動きも、
厚生労働省や一部の有識者の中から声も上がっている。

非常にセンシティブな問題だがブラック企業の定義というのはなんなのだろうか。
様々な評論家や、有識者、経営者が意見を述べていることなので、
ここでは細かい定義は控えておくが、やはりその企業で働く人が労働力を搾取されていると、
感じるならばそれはブラック企業なのかも知れない。

「ブラック企業」という言葉がこれほどまでに世間に広まっていったのは、
終身雇用モデルの崩壊と相まって、自分の今のまたは将来の就労環境に、
どことない不安を感じる人が増えているからであろう。

また、会社を俯瞰的に見て、他社と比較できるような環境が整ってきたということもある。
「モーレツ社員」などという言葉や「過労死」がそのまま海外に普及していったように
「ブラック企業」という言葉も日本の労働市場を表す言葉として伝播していくのかもしれない。

グローバル化を余儀なくされている労働市場においても、単に就業するということではなく、
自分の仕事が世の中にどのようなインパクトを与えているものなのかが重要な時代となってきている。

我々エージェントの存在意義の一つでもあるが、
職環境や社土、ワークライフバランスのマッチングに対しての定量化出来ない部分の見極めは、
今後、益々転職や就職の際のポイントとなってくるであろう。

アダム・スミスの論じた資本主義経済の幕開けから200年後に、
ガルブレイスは時代を「不確実性」を使って表現したが、それからさらに30年が経った2013年。
ドッグイヤーはまさに労働市場を破壊し、様々な価値観を生み出し、時にそれは人を不安にさらす。

先行きの不透明さばかりが目につく近年だが、夜明け前が1番暗いという先人の理を信じて、
多様な価値観の中、ひとつの自分軸を定め、努力することが報われ、努力することを恥じらわず、
効率性の追求や論理の正当性に拘るより、実行力と継続する胆力を持ち、
周囲を巻き込みながら真剣に働く人が評価される時代となっていくのではないだろうか。

新しい年を迎えるにあたって、今一度自分に取って「働く」とはなにかを熟考してみたいと思う。

きたる年が、労を惜しまぬ全ての人に取って、実りある年であらんことを。
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雨が降ってきちんと固まる関係か?

2013-12-10
先日、私の住んでいるマンション階で不審者が侵入したため、警察の方が来て住民から事情を聴いて回っているのを見かけました。割と治安は良いエリアであり、めったにこういう騒ぎは起こらないため、周辺の住人の方も皆不安な面持ちで状況を見守っていました。最終的には大きな事件に発展しなかったのでよかったのですが、最近は今までの常識を超えた犯罪も起こっているので、防犯意識を高めるきっかけになりました。

実は、それにも増して印象的だったのは、普段はほとんど顔を合わせることもなく、深い付き合いをしていないご近所さん同士ですが、こういう事件が起こると一気に連帯感が高まるという点でした。私のマンションは築年数が40年くらいのマンションなので昔から住んでいる方も多いのですが、それゆえに住民全体が高齢化している状況もあり、あまり接点を持つことがないのが現状です。そのため、一度もお会いしたことがないご近所さんというのも実際には多くて、この出来事で初めてどんな人が住んでいるのかを知ったという家がいくつかあったくらいです。そのような状況なのですが、一人暮らしのご老人には「何か困ったことがあったらすぐにうちのベルを鳴らしてください」とか、子供がいる家族には「赤ちゃん泣いてない?大丈夫?」とかお互いが自然発生的に声を掛け合っていました。その後、私の住んでいる階ではこの冬の時期だけ輪番でマンションの見回りを行うというルールが出来て、以前よりも住人同士の接点が増す結果になりました。

決して、事件や災害などは起こって欲しくないのですが、「雨降って地固まる」に近い一つのきっかけとなったのは事実です。こんな時のために普段から関係性を強く持っていればよいのですが、お互いの遠慮や人間関係の持つ面倒くささなどが重なり合って、日常では積極的に入り込むことをあえて避けているのだと思います。しかし、暴漢や不審者などがマンションに侵入する、あるいは地震や火災などの事故などが発生するなどの非常時には、誰しもが無関心ではいられず、自分自身が当事者であるという意識が高まって初めて連帯感が生まれたというわけです。気持ちの部分では、常にお互いのつながりを求めているはずなのですが、知らず知らずに個人主義的な考えに支配され、何も手をつけないままに時間が流れてしまっている事に気づかされた出来事でした。

会社組織でもご近所さん同士でも、結局のところ当事者であるという意識が希薄だと個の意識が強くなり過ぎ、無駄な軋轢を生じさせたり、本来できる事も出来なくなる、知らないうちに体力が衰退していくという状況に陥ってしまうのではないかと思います。雨が降ったらさらに液状化してしまい、問題が表面化した時にはもう手遅れ…というケースも実際には多いのではないでしょうか。個の自立と組織の活性化、両方とも重要なテーマですが、まずはあらゆることへの当事者意識を高めることが地盤強化のヒントになりそうな気がします。
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人を気遣う心の余裕

2013-12-02
知人のお子さんが入院しているため、時々、お見舞いに行くことがある。
その病棟は、長期入院している患者さんが多く、人生模様が垣間見え、考えさせられることが多い。
入院が長引くと、心の余裕を保つのは容易なことではないようで、
また、入院したばかりの患者さんは、現実をなかなか受け入れられず、動転していることもある。
私もそうでした、と知人は笑って話すが、私がもし同じ境遇だったら、
この人のように、笑って話せるだろうか、と考えさせられた。

そんな中、印象的だったのは、隣の病室にいた、ある夫婦の会話だ。
奥様は、生んだばかりのお子様が、手術の必要な状態になり、すこし精神的に動転していた。
旦那様は、西洋の方で、辛抱強く奥様をなだめ、奥様や医者の話を深く聴き、
次第に奥様の様子も穏やかになっていった。
外国の方だが、日本語で話し、まるで禅僧のような面持ちで、日本文化に適応しようとしておられる様子が感じられた。

そんな様子を見て思った。
人を気遣うのは、心の余裕なのだと。
一生懸命やっているがうまくいかない、という悩みを転職者の方から聞くことは多い。
私もそうだったし、今もそういうことがある。

そんなとき、私は、一生懸命やっているのは、誰のためなのか、と振り返ると、自分のためだったりする。
そんなときはうまく行かない。
言うまでもなく、人に喜んでいただいた結果として、サービスが成立するのだから。

先程の外国の男性だが、大きな心の余裕があったから奥様を気遣ったかというと、必ずしもそうではないと思う。
ご自身も動揺し、不安を感じる中、奥様を支えようと、カラ元気でも、心の余裕を持とうとしたに違いない。
「人を元気づける」「心の余裕を持つ」、サービス業に通じることだと、考えさせられた。
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