ペーパードライバー

2013-10-29
東京に住んでいる限り自動車を所有する必要はないと考えていた私だが、最近考え方に変化が生じている。
その理由は単純に子供ができたためだ。
1歳になった子供を外に連れ出す際、電車での移動がメインとなるがどうしても長距離は難しい。
バスもしかり。タクシーはやはり非現実的だ。とすると、自家用車ということになるのだが、
私はいわゆるペーパードライバーであり、できれば乗らなくて済むようにこの十数年過ごしてきた。
そんな私がレンタカーを借りて何とか運転に慣れようと努力をしている。
子供が生まれなければ考えもしなかっただろう(運転は今でも怖いが…)。

運転免許があっても自動車を持たない人の理由は様々だと思うが、
私の場合は事故を起こす危険性と維持費を支払った上で得られるメリットが少ないと感じていたことによる。
しかし、子供が生まれ、メリット・デメリットの判断軸そのものに変化が生じ、
それまでは存在しなかった選択肢が加わった。
実際、動機はともあれ、慣れれば慣れるほど運転は楽しくなるものであり、
もっと前から乗っておけば良かったという後悔の念すらある。
何かのきっかけで思考や選択肢に広がりが生まれ、行動が変化する事はよくあるかもしれないが、
それだけ日常的に思い込みに支配されている事が多いという裏返しなのかもしれない。

いたずらに自身の可能性を縮小させることも、あまりにも無謀なチャレンジをしてしまう事も、
どちらも思い込みの作用が強いと思うが、間違いなく転職活動においてそれは大きなリスクと言える。
想定されるリスクに対して真剣に向き合う事を放棄した結果、手に入りそうな、
あるいは入りかけているチャンスをみすみす逃してしまうという事だ。
もちろん最終判断は自己責任の世界であるし、絶対に事故を起こしたくなければペーパードライバーのままでいる事もありだ。
とにかく、まずは冷静にそのメリットとデメリットをきちんと整理してみることが肝要だ。
その上で判断した結果ならば、現職にとどまるにしても転職活動をするにしても、置かれている状況の中で最大限の活躍ができると考えるからである。

ちなみに新聞記事などによれば、技術の進歩で全自動の自動車が実用化される日もそう遠くないらしい。
ペーパードライバーが安心して運転でき、事故が軽減される時代が近づいているのはとても喜ばしいことだ。
ただそれを待っていると、子供が親と一緒に出掛けるのを嫌がる年頃になってしまうだろう。
やはりメリットだけを享受することは難しいという事なのか。

とりあえず、私はリスクを受け入れて地道に運転に励もうと思う。
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ギブ・アンド・テイクを超えたもの

2013-10-16
高校を卒業したのはもう十数年前になるが、その高校の卒業生が集まる会があったので、行ってきた。
幅広い学年の集まる交流会で、上は40代後半の方から、下は就職活動を始めたばかりの学生さんまで様々だった。
この会は、数年目を迎えるそうだ。
今年は百人近く集まり、会場では、親子ほど年の違う人同士が、楽しそうに話し、活気があふれていた。
二次会、三次会まで盛況だった。

会の終わりに、それぞれの参加者から一言、という時間があった。
20代の参加者は、どちらかというと、「私はこのようなことをやっています」など、PR的なものが多かった。
一方、40代前後の参加者は、余裕があり、「年の差を超えてお互いにふれあうようにしてください」と言ったり、
他の交流会(女子会・オフィシャルな同窓会など)のアナウンスなど、
他の人を世話するような発言が多かった。
そういった方が若手を見守る眼差しは、なんとも言えないあたたかいもので、
私も将来そんな人間になりたいものだとしみじみ思った。

そういった、他の参加者を世話するような姿勢の方を見ていると、自身が満たされたから人に与えているのではなく、
人に与えてきた結果、めぐりめぐって自分に返ってきて、充実した人生を送っているのではないかと感じた。

若手にこのようなスタンスの参加者がいないかというと、もちろんそうではない。
新卒で就職して一年目の参加者が、「就職活動中の人は、質問など何でも連絡して下さい」と後輩に呼びかけており、実際、多くの後輩に囲まれていた。
また、この会の幹事は、私と同じく30代前半だが、自主的にこの企画を数年前に立ち上げ、
地方在住ながら、首都圏・関西・遠くは海外でも、卒業生の交流会を催しており、そのバイタリティには脱帽するしかない。
その人望から、交流会場で、幅広い年代の人に囲まれていた。
自分の有り方を顧みて、他の参加者の有り方に近づくよう行動したいと、改めて思った。

よく、“give and take”という。これは、相手に何か差し出し、
代わりに、他のものをもらうという意味だと私は受け止めている。ビジネスにも通じることとされていると思う。
一方、人に与えて、その結果として、何か与えられるという考え方もあると思う。
いわば、“give and be given”とでもいうのだろうか。
しかし、思う。シンプルに、“give”だけでよいのではないかと。

私が交流会の中で他の人にgiveできたかというと、はなはだ疑わしいが、こんなことがあった。
私が人材紹介会社に勤めていると聞いた就職活動中の学生さんから、
「雇用に関わるビジネスをしているから」とシューカツについて意見を求められることもあった。
役に立ったかどうかわからないが、微力ながら力になれればと思い、つたない話をさせてもらった。

他にはこんなことがあった。
交流会の最中、「人材派遣なんですね」と言われたことがあった。
人材紹介を人材派遣と勘違いなさる方がいる(別の事業です)のは、よくあることなので、
及ばずながら、人材ビジネスについて話をさせていただいた。
良い話をできたかどうかはわからないが、
すこしでも転職支援の意義についてもお伝えできていればと思う。

何の見返りも期待せずに他人を気遣っていた交流会の参加者のように、
シンプルに他人にgiveする心の余裕を持てるように、私もなりたいと思う。
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一流 その2

2013-10-07
前回、「電話の切り方」についてお話をさせて頂きましたテーマです。

今回気になるのは「メール文章の文末」です。
メールが日常的に用いられるようになってから久しいですが、
しっかりと文末まで配慮を欠かさず作成されていますでしょうか。
時折、お見受けするのは要件だけを伝えて、飾り言葉や枕詞を用いず、非常にドライに映るメールです。
要件を伝えるだけ伝えて、一方的に文章を切るのは相手に嫌な思いを抱かせるのではないかと感じ得ません。

元来、日本には「フミ」という手紙があり、そこには送り手の感情や考え、気持ちなどが
良く表れていたようです。受け取り手も送り手をイメージして読むから、手紙という二次元のツールであっても、遠く離れたお互いが立体的になるのです。

昨今、利便性が高まった背景からか、このような情感を伝搬する意識が薄れてしまっているように感じます。

電話は対面/口頭、メールは紙面とありますが、システムが変わっただけで
基本的に人と人とのやり取りに関しての変更はありません。

簡便なツールになったとしても、相手を慮る気持ちや思いは大切ですし、必要です。
要件だけを言い放って、一方的にシャットアウトするというのはいかがでしょうか。

日本の経済も、なかなか元気になりませんが、
仕事を「作業」で終わらせないように、一人一人が「つながり」を大事に毎日過ごせれば、
経済が元気でなくても、明るい社会や会社になるのではないかと思います。

電話もメールも、基本的に人と人をつなぐツールです。
だからこそ、取扱い方法でその方の「人となり」が相手に推察されてしまいます。

自身も気を付けて行動し、接する方々が明るく元気になれるように心掛けていきます。
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