変わらずに咲く桜の価値

2013-03-26
見てくれは微妙な我が家だが、一点だけ誇れるものがある。
それは、窓から見える桜だ。

この家で暮らすようになって6年、毎年この時期になると
「今年も変わらず咲いてくれた」と気持ちがなごみ、
何とも表現しがたい安堵感に浸ることができる。一方で、
「去年この桜を見た時と今の自分に変化はあるだろうか?」と
少し不安な気持ちになることもある。

変わらなくても良いもの、変わることが求められるもの、
状況によってその価値や良し悪しは異なるだろう。
私はどちらかと言えば安定志向のものの考え方をするので、
本来は変化を嫌う傾向だと自覚している。
そんな私もこの人材コンサルタントの仕事に就いてからは
変化することを求められてきた。

転職活動の場合、仮に安定志向の方だったとしても
仕事を変えるという意味では必ず変化を伴うわけで、
私たちはお客様に対して常に何らかの「変化」を提供し続けて
いることになる。お客様に変化を提供し、働き方をご提案する
立場でありながら、自分自身に去年と全く変化がないのであれば、
その説得力はゼロに等しい…というものだ。
そんな意識で、どうにか自分を変えてこられたと思っている。

安定も変化もバランスよく融合されている仕事は理想的かもしれない。
しかし、どちらかと言えば今の世の中は「強い」変化モードであり、
企業が中途採用に求めるのも、強烈な変化を与えてくれる人材だ。
今後どのような仕事に就いても、どのような業種を選択しても
その世界における競争や変化に身をさらされることになるし、
そもそも、変化や競争のない業界は淘汰されることになるだろう。
そう考えると、変化に対応できることこそがキャリアにとっての
最大の安定のような気がしないでもない。大変な世の中だと思う。

強い変化を求められる時代だからこそ、毎年同じタイミングで
咲いてくれる桜を見ると、束の間でも心が落ち着くのかもしれない。

来年もまた、変わらず咲いてほしい。

その桜をどんな風に見ている自分が居るか、
これから1年、また新たな変化を求めて仕事に取り組もう。

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風に揺らぐことの無い足場

2013-03-18
この季節、変化の時期である。
寒さも緩み始め、生物は春に向かって新たなる芽を吹き出し
生命の息吹を感じさせる。

気候は春へと変わろうとする中、
不安定な大気の中で強烈な風が吹きさらし、春の嵐も頓に感じる。

弊社のオフィスの近くで、新しいマンションが建設中だが、
見上げると、もの凄い風の中で作業をしている現場の方が目についた。

おそらく地上から9階ぐらいの高さで足場作りをしている鳶職人。
服がバタバタしており、強烈な風に逆らいながら作業をされているのが感じ取れる。

強風の中で、自分の身長の3倍以上の長さの鉄の足場を持ち上げ、
それをどんどん上に伸ばす。

安全なところから見ていても、身震いしてしまうほどのおっかなさだ。
彼のてきぱきした素振りと強風が続く中でもどんどん上に伸びていく足場を見ながら、
「足元を固めること」というのがいかに大切かをふと考えるに至った。

きっと彼は自分でか、または彼の仲間がこれまで作ってきた、
「今、自らが立っている足場」に絶対の信頼を置いているからこそ、
このような天候の中でも臆すること無く、作業を続けることが出来るのだろう。
もしくはそこまで考えるまでもなく、当然の安心感を持って作業に臨んでいるのかもしれない。

いずれにせよ、「今、自らが立っている足場」が不安定であったり、
信頼に足るものでは無かったら、さらに足場を上に作っていくことは出来ないだろう。

春のこの陽気と同様にでは無いが、市場にも強烈な上昇気流が吹いており、
日経平均株価は12,000円を突破し、リーマンショック以前の水準を回復し
世間では、待ち望んでいた本格的な景気回復期が来たかと、つかの間の春を謳歌している。

そんな中で景気の足元を固めている、足場を固めているのは一体誰なのだろうか。
信頼感はいったい誰が作っているのか。

正直に言って、私はこれには即答出来ない。
ましてや、信頼感を持ってこの状態を受け止めることは出来ない。

この嵐ともいえる風の中で、作業を続ける彼のように、
この景況感とは言え、足元に信頼が置けないのだ。

そんなことを吹き付ける砂に目を細めながら考えた。

我々は転職サービスを提供する側として、
自分自身が地に足をつきながら、転職者が新たなる活躍の場、新しいステージに挑戦するとき、
果たして信頼に値する確固たる足場を提供できているかを、
日々問うて行きたいと思う。
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他者からの視点

2013-03-15
先日、古い友人の紹介で外国籍の方をご紹介頂いた。
どうやら転職したいそうだ。
26歳になったばかりのフレッシュで活気のある人材。
現職は地方の学校で子供たちに英語を教えているそうだ。

転職の動機は教え甲斐のなさ、のようだ。
日本を取り巻く修学環境は、とりわけ先進国の中でもレベルが低いと思う。
これは日本人である自身も感じることである。
この環境下におかれた外国籍の人が、就業後間もなく感じるのであるから
これは割と深刻なように感じる。

彼の言う教え甲斐のなさというのは下記の通りである。
1、生徒の就学意欲の低さ(やらされている感)
2、カリキュラムレベルの低さ(何を子供に教えたくて勉強のプログラムを組んでいるのか)
3、先生のレベルおよび程度(生徒の裏返しで、先生も子供の将来や意識など意に介さず)

彼は、英語の必要性をうたい、子供にやる気を出させながら教壇に立つようだが
うまく伝わらない、先生の独りよがりと見られている事だそうだ。
それを周囲の先生にも相談しているものの、取り合わないようである。
もっというと、どうでもよいという風に感じるような態度らしい。
彼の教え方、伝え方という面も一部要因としてあるだろうが
ここで取り上げたいのはそんなことではない。

日本はこの教育システムを良しとして今日まで歩んできて、
時代の移り変わりにも応じることなく、旧態依然のシステムから変化する気がないと言う点である。
たしかに、これまでの日本は優秀であり、子供の学業レベルも高いと定評があった。
しかし、現代の子供の学業レベルは明らかに落ちている。
まともに計算することも、字を読むことも出来ない。
もっというと、親はどうなのか?というレベル。
そのくせ、学校の先生には成績が低いのは学校の責任と言ってくると先生も大変である。

時代は追いついてくる者のみを受け入れる。
学校とて、同じ事であろう。

今回、外国籍先生の意見を聞くと、日本の修学環境の歪さを理解する事が良くできる。
でも、当の日本人教師たちは一生懸命やっているだろうし、子供たちもそれなりに一生懸命だろう。
問題なのは、その一生懸命している「モノ」が通用するのかしないのか。
さらには、通用しないと気付くのかどうか。

外から見た他者からの視点というのは気付きを与えてくれる。
自身では精進しているつもりでも、他者から見られたら滑稽に映る事も、無駄な事も、多くある。
自己満足で終わることなく、他者からの意見も素直に受け入れ、自身の糧にしていく必要があると痛感する。

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古い友人に逢っての気付き

2013-03-12
10年ぶりに会うということが、世の中そうあるものではないと思うが、先日これが起きた。
大学時代から実に10年ぶりの再会である。
この10年間、特段連絡を取り合っていたわけでもなく、もちろんお互いの携帯電話なども知らない。
とあるSNSで急遽再開することになった。
最近、SNSが流行しているので、この手の話は珍しくなくなったかもしれないが、
それでも10年のブランクを経て会うということの希少性に驚いている。

大学時代の友人ということもあり、当時はテニスの話や仲間内の話で終始していたが、
先日は仕事観・人生観・将来像などの話がメインとなった。

大学時代から、キレのある後輩だと思っていたし、魅力的な人物でもあった。
そのイメージはそのままに、更に進化を遂げて目の前に現れたから驚いた。

進化と言うのは日々の中では確認しづらく、また確認しようとも出来ないものである一方
ブランクを経て再会すると如実に分かってしまう。
今回の友人は、それぐらいインパクトのある人物であったということを差し引いても素晴らしかった。

そして、何よりも自身の成長意欲を刺激されたことが想定外の収穫であった。
元より、頭のキレる人物であると知っていたし、周囲からの評価も高かった。
だが、さらに一回りも二回りも大きくなってくるのだから頭が下がる。

自身の足元を見直して、今一度身の回りを見ながら、自己成長に意欲的になれた日だった。

本当にここ最近では珍しい、レベルの高い後輩である。
今後の活躍を応援しながら、微力ながら支援していければ、それが自身への成長にも繋がると感じている。

その後輩も言っていることだが、足踏みしたらそこでおしまい。
人間、驕ったらそこで足踏みとなるのでしょう。

日々是精進、本当に胸に刺さる言葉です。

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