古典を超える

2012-07-23
ヒット漫画『ヒカルの碁』にも登場した棋士・本因坊秀策は、江戸時代の人だが、
昔から現代までを通じて、史上最強の棋士と言われているそうだ。
しかし、秀策の後の名人達は、秀策のスタイルを破ろうとして、違う打ち方を試みている。
その結果、現代の布石なり打ち方は、江戸時代よりも進歩しているそうだ。

これを捉えて、前回のブログで紹介した棋士・呉清源は、こう言っている。

「決して、昔のまねをしてはだめなのです。」

百歳を過ぎてなお、毎日八時間の研鑽を積む人が言うと、深い。
この言葉を最近知って、私は、胸が突かれる思いがした。
昔のものなり古典は完成していて、現代の私達は、それをいかに忠実に実践するかが大事だ、と思っていたからだ。

そんなことを考えていると、清王朝時代の中国を舞台にした漫画を思い出した。
歴史のある中華料理店で料理人を務める主人公が、「この店の伝統は何か」と聞かれ、
「伝統を打ち破ることでございます」と答えるシーンがある。

8月10日のブログで書いたように、「古典を現代的に適用する」ことが最上だと思っていたが、そうではない。
革新が大事なのだ。

古典を超えるなんて恐れ多いと思っていたが、よく考えれば、お手本を模倣するだけで終わってしまっては、
現代に生きる自分の存在意義がない。
自分なりの独自の工夫・視点を加えて、深化させてこそ、先人も喜ぶというものだろう。
自分のものは、先人のものより完成度が低いかもしれないが、何人もの人が工夫を重ねて
いくうちに、いくつもの視点が補いあって、先人を超える可能性がある。
自分が欠けていることを、恐れる必要はないのだ。

このことは、武道や芸能の「守破離」という言葉で言い表されている。

守:決められた通りの動き、形を忠実に守る
破:基本に自分なりの応用を加える
離:形にとらわれない自由な境地に至る

ものごとの原理原則を教えてくれる古典を守りながらも、自分なりの工夫を加えるようにする。
実行するのは難しいが、先人の遺産の上に依って立っている身としては、後進にのしをつけて返す責任があるので、ルール化したい。
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真髄は調和にあり

2012-07-20
度々父の話で恐縮だが、将棋が趣味の父に、囲碁の相手をしてもらった。

父は、将棋に比べると、囲碁の経験は、あまりない。
それでも、将棋同様、ハンデをつけてもらっても、また、負けてしまった。

対局後、父が、ふと感想を漏らした。

「おまえは、俺の石を攻めているとき、『攻めた結果、地合い(=陣地)を得よう』
というのではなく、本気で俺の石を取ろうとしているよなあ」

どきっとした。
囲碁をほとんど打ったことがないのに、本質を突いたことを言うのは、将棋を極めたからだと思う。

実際、二十世紀を代表する天才囲碁棋士・呉清源先生は、「囲碁の真髄は調和にあり」と考えている。

「勝負事なのに、調和? そんな甘っちょろいことを言っていていいのか?」

私は、最初そう思った。しかし、呉清源先生は言う。

「碁は調和の姿だと、私は考えます。
碁は、争いや勝負と言うよりも、調和だと思います。」

「碁の勝負は普通の勝負とちょっとちがうと、私は思います。
そこには人為的なものが少なく、ほとんど自然の現象というべきで、
自然の現象を、ただ勝負と名づけただけではないでしょうか。」

何か、悟ったような、仙人の言葉のようだ。
言い換えると、「勝負事の真髄は、譲り合いにある」と言えるかもしれない。

最近の言葉だと、Win-Winとでも言うのだろうが、ビジネスでも、自分だけ儲けようとしても、うまくいかない。
相手の立場や、相手の考え、落としどころをわかって、譲るべきところを譲り、
自分の利益を確保すべきところは確保するという、バランスの良い関係が、長続きするのだろう。
そういえば、確かに、営業の成績を上げておられるお客様は、気配りが細やかで、スマートな印象を受ける。

今度囲碁を打つ時は、自分のことだけでなく、相手とのバランスを考えて打ってみよう。
それを、仕事にも応用してみよう。そう決意した。
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まことの花

2012-07-05
皆様のお引き立てのおかげで、いろいろ受賞させていただいたおかげか、
最近は弊社にも、お取引が初めての有名企業様から「人材を探しているのですが……」と電話がかかってくるようになった。
創業まもない頃を思えば、隔世の感がある(といってもまだ1年半だが)。

しかし、能を大成した世阿弥の『風姿花伝』を何気なくめくっていたら、
自分の思いを代弁してくれているようなことが書いてあったので、思いを新たにする意味で、引用したい。

「新人であることの珍しさ、つまりその時だけの「時分(じぶん)の花」による人気を
本当の人気と思い込むのは、「まことの花」(芸の真実の面白さ)には程遠い。
そんなものはすぐに消えてしまうのに、それに気付かないことほど、おろかなことはない。
そういう時こそ、初心を忘れず、稽古に励まなければならない。」

何事も基本と初心が大事ということなのだろう。
なお、この後、こんなことが書いてあり、焦りを感じた。

「上手になるのは、34~35歳までである。40を過ぎれば、ただ落ちていくのみである。」

能とは違うかもしれないが、もうすぐ34~35歳を迎える身としては、危機感を覚える言葉である。

「初心を忘れず、稽古に励まなければならない。」というのは、どの世界にも共通して言えることなのだろう。
改めて身の引き締まる思いがした。
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争点の違い

2012-07-05
先日、帰郷のとき、将棋が趣味の父にまた一局手合わせしてもらった。
12月7日のブログで書いたことだが、以前対局後の感想戦のとき、
「おまえはここで二筋の歩を突いて負けたが、一筋に歩を垂らせば勝っていた」と言われたことがある。

今回似た局面になったので、今度は一筋に歩を垂らしてみた。
確かに、以前の対局より私が有利な形勢になった模様だ。
(私からすると)複雑な局面になり、読み切れなかったので、思いきって指してみた。

その後父の口からぼそっと出た言葉は、かすかに芽生えた私の淡い希望を、根こそぎ奪った。
「それだと君は勝てない……。」指してみると、確かに負けてしまった。

一か所をめぐって争う局面になっていたのだが、
先手と後手の戦力差を数えてみると、私は違う箇所で争わないといけなかった。
違う場所を争点にしていれば、勝てたようなのだ。

今回の教訓は、事前に読み切れる場合は、見切り発車で進めてはならないということ。
争点の違いによって、勝敗が決まりうること。
仕事にも生かせるので勉強にはなるが、駒落ちでも父に勝てるのは、相当先のことになりそうだ。
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