Raison D'être(存在理由)

2012-04-27
コアでは、クライアント企業様について、とことん考える勉強会を週1回行っている。
最終的には、クライアント企業様の課題などをお伺いして、組織活性や事業推進に当たって
どんな人材をご紹介するのが一番望ましいのか等を話し合うのだが、
最初の打ち合わせでは、その企業様の存在意義について話し合う。
単純なことなのだが、どんな事業をされていらっしゃるか、強みは何か、弱みは何か、
競合との差別化は何か、そして社会から必要とされている理由を考える。

人から必要とされ続けるには理由がある。
それこそが、その会社の存在意義である。即ち、強みであり、差別化されたものなのだ。

例えば、一見、似た商品群を持っている2社の日用品メーカーでも、
1つは人々の暮らしに変化をもたらすことがそもそものコンセプトである会社と、
もう一方は、気がつけばいつでも身近にある商品づくりをコンセプトとしている会社があったりする。
結局店頭に並ぶ商品は似た展開となっている可能性はあるが、そのコンセプトや会社の求める姿によって、
売り方や商品自体も変わってくるのである。

すると、同じ量販店向けの営業経験を持つ候補者でも、
その企業のコンセプトにあった売り方や提案の経験がある方であれば、
更に即戦力となるし、本人もギャップを余り感じることなく、雰囲気に溶け込んでいくのだ。

クライアント企業様の差別化や存在意義について考えるたびに、
コアの存在意義、そして自分自身が必要とされる為の存在理由を考え見直す。

企業も人も必要とされ続けるためには、
あるべき姿を見失わずに、常に変化をし続ける努力が必要なのだ。
また、基本に返ろうと今日も思う。

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万年筆

2012-04-24
父からもらった万年筆、どうも書きっぷりが悪い。そこで伊東屋へ万年筆を探しに行ってみた。
さて、どう選ぶか。デザイン、質感、レア物・・いろいろな基準がある。
ぱっと見て、親指の付け根のところに重心があるものが気に入った。万年筆の重みを感じながら、
ペン先はさらさら滑るようになっている。この重みも、万年筆と寄り添っているようでたまらない。
そうか、重みの位置が合うもので選んでみよう。
そして、同じメーカーの別のデザインのものを手にとってみた。
しかし、こちらは自分の手にそぐわず、重心の位置がより後方にきて、
万年筆に操られているような感覚に陥った。 うん、手の大きさに合うものを探そう。
店員さんに、別のメーカーで自分の手のサイズに合うものを何点か出してもらう。これは、ぴたっとくる。
さて、問題の書きっぷりはどうか。滑るように、英語で自分の名前を書いてみる。素晴らしい書き心地である。
滞ることなく、紙面に流線を残してゆく。
ほぼその万年筆に決めかけていた時、ふと、「美しい日本の風景」という文句が目に入り、
自分もきれいに文字を書いてみようと、筆を滑らせた。・・あれ??何か、おかしい。固い。
漢字がうまく書けないのだ。
「美」という文字の点やはらいがうまくいかない。如意とはいかず、悩んでしまった。
あれほどきれいに英語は書けたのに、日本語の美しさを表現するには充分ではない。
感情を込めることができない。そういえば、あるドイツ製の万年筆は書きっぷりは悪くなかった。
あれは、ドイツ語特有の「点」(a,e,o等の上についている点)に対応しているからなのであろう。
やはり外国製の万年筆、基本的にはアルファベットを流れるように書くようにできている。
その文字の特徴に合うよう、時間をかけて進化してきたのだ。
 そういうわけで、残念ながら、これという万年筆を見つけられずに帰宅してしまった。
日本語をきれいに書くための万年筆は存在するのか?
そもそも外国起源の万年筆でその進化を遂げたものはあるのだろうか?まだその答えは見つかっていないが、
いつの日か、美しい日本語を手に馴染んだ万年筆で書ける日が来ればいい。
日本人のための、日本語のための、必然の機能を基準としたもの。

そして、どの職業でも、そのプロフェッションにぴたっと合う人格や経験があるのだと思いを馳せた。
そしてまた逆に、一個の人間の生い立ちや経験・能力からくる「歴史的な個性」を生かす職業がきっとある。
一生かかっても天職に辿り着ければ幸せだと思う。
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料理

2012-04-19
道理、条理、摂理、合理、義理、原理、定理・・「理(ことわり)」という語の使われている単語はいくつかある。
その中で、先日NHKのプロフェッショナルで放送されていたのが「料理」である。
「理(ことわり)を料(はか)ること」その素材の本質をあぶり出し、よりそのものらしく提供するため、ものすごく努力をしている。

 一番印象に残ったのが、鮎の塩焼きだ。
口を大きく開けて焼くことで過剰な湿度を調整し、内臓部分に一刺しすることで香りが引き立つようにしている。
また、まるで川底で泳いでいるかのように見せるためであろうか、ヒレの部分を立たせて焼き、
実際に皿の上に立たせ、その力強い泳ぎを表現しているかのように見えた。
 うちの家内は、食材とその組み合わせ、その日の湿度や気温、私の体調によって、使用する塩を変えて料理している。
アンデス、ハワイ、沖縄、小笠原、伊勢、ガンダーラ、イタリア、カナダ、南極・・と、10種類以上のも塩を使いこなしている。
その合わせ方にも必然的な「理」があるのだという。長年料理をしていると、直感的に必要な塩に手が伸びるという。
従って、料理中は本気で、なかなか近づけるものではない。
 
 我々の存在価値も、いわば、人が本来持つ能力を最大限引き出すことにある。
その人の本質は何かをつぶさに見極め、合致する職業を瞬時に選び出す。
その人の過去や現状のみでなく、将来像をも現在に取り込むことにより、
より幅広い可能性の中からよりその人の「理(ことわり)」に近いものを引き寄せる。
「人理」というのかもしれない。

 よりその人がその人らしくいられるように、他者と比べるのでも何でもない、その人らしさが、一番美しいと思う。
無理する必要もない。
理が無いこと=無理。理が無ければ成立しない。
我々も、より「理」に近づいた職業を提供するべく、日々努力したいと思う。

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温故知新

2012-04-17
東大で、サンスクリット語の初回講義に300人を超える学生が押し寄せ、
大騒ぎになったそうだ。「Web R25」から下記引用する。

「4月10日の午後1時から2時ごろ、東京大学教養学部で1、2年生を対象とした
サンスクリット語の講義が行われ、その出席者が多かったという理由で、
「サンスクリット」というワードが、ツイッターの東京エリアでトレンドに表示される珍事が起きた。」
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20120413-00023431-r25




ヒンドゥー教や仏教で用いられる古典インド語なので、例年参加者数は一ケタ。
今回の騒動は、単位が取りやすいという噂が理由のようだ。

しかし、本当にそれだけで300人も集まるものなのか。

新入生の求める「優」評価と単位取得には、
極度に複雑な文法の暗記と、半年間の全出席が必要だが、
東大生といえど、よほどの精神力がないと勤まらないそうだ。

不確かな時代に、いつの時代も通用する考え方、日本人の源流をなす考え方を
東大生は求めたのではないだろうか。

上村勝彦・風間喜代三著『サンスクリット語・その形と心』(三省堂)のまえがきより、下記引用する。

「仏教が日本人のものの考え方に大きな影響を与えたということは
否定できないことである。そして,日本仏教の理解には,
じつは(中略)サンスクリットの原典を読む必要がある。
このように,日本の文化の一面を理解するためには,
サンスクリットの学習が必要であるといっても過言ではないように思われる」

去年10月18日のブログで書いたことだが、時代は正に原点回帰を迫られている。
最近のオリンパスの事件を持ち出すまでもなく、道徳なき商業はうまくいかない。
さすが古典語というべきか、書店に行って教科書を開くと、
「真実のみが勝利する」といった格言が最初に書いてある。
現代はその重みが一層感じられる。

現代経済の基盤を築いた事業家・澁澤榮一が、自らの事業の指針として
若い頃から論語を愛読していたように、
次世代のリーダーたる東大の新入生たちは、古典の精神を求めたのではないだろうか。

日本語の五十音図は、サンスクリット語のアルファベットの配列に由来するし、
禅、三昧、旦那などは、サンスクリット語を音で写した言葉である。
日本の文化の源流をなす言語なのである。

去年10月18日のブログで、
弊社は「人のための」転職サポート事業を「継続」することをお約束した。

同様に、去年8月10日のブログで書いた、「古典に触れ、実践する」ことを
継続することを、ルールとして自分に課そう。
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携帯電話盗難騒動事件

2012-04-13
嘘のような話を最近経験した。

職場で段ボールのゴミを出すときに、誤ってその上に個人携帯を置いてしまった。

3分ほどして気づいて戻ると、段ボールはそこになかった。
携帯電話もなくなっていた。

GPSと連携した「iPhoneを探す」という機能を初めて使うと、
私の携帯電話が職場PCの地図上で動いていた。

携帯電話は、職場から数km離れた、弊社社員が普段行かないところをうろうろしてい
た。
不法業者が持ち去ったものと思われる。

すかさず上司が声をかけてくれた。
「タクシーに乗り、携帯電話を追いかけるんだ。
自分はここで、職場から君の会社携帯に電話をかけてナビゲーションする」。

GPSは1分ごとに更新されるので、場所にどうしても誤差が出る。

「駒沢通りを直進!」とか「そこの交差点を右折!」とか「今来た道を戻って!」と
か、
ナビゲーションを電話で受け、幾度か行ったり来たりを繰り返しながら、
対象物の近くまでたどりついた。
しかし、不法業者の姿が見当たらない。
タクシーを降りて、右往左往しながら歩いて探すと、
結局職場の近くに戻ってきてしまった。

iPhoneが地図上で全く動かなくなったが、不法業者らしき人の姿も、携帯電話も見つ
からない。

ゴミ捨て場に置き去ったのだろうか、と付近のゴミ捨て場の段ボールをあさったが、
見つからない。
一時間ほど悪戦苦闘した挙げ句、ナビゲーションしてくれている上司に悪いので、職場に戻ることにした。

初めて使う機能だったが、iPhoneをリモートロックし、サイレントモードでも最大音量で鳴るようにし、
「拾ったら電話ください」とメッセージが表示されるようにした。

上司にお礼を言い、帰りながら探すと報告した。

30分ほど再び探してあきらめ、家内に電話しようと思ったが、
番号がわからないので、職場に戻ることにした。

職場に戻ると、上司は退社していた。
PCを覗くと、携帯電話は場所を変え、職場近くの公園で止まっていた。

古雑誌を山ほど積んだスモークシールドのライトバンがあった。
iPhoneを知らないか運転手に声をかけると、最初は否定したものの、
後から追いかけてきて、「この電話か?」と尋ねてきた。

私の携帯電話だった。

「拾ってやったんだから、お礼の一つもないのか?」と聞かれたが、
無視して立ち去った。「ちぇっ、お礼無しかよ!」と捨て台詞を吐かれた。

帰りの電車に乗っているだろう、と思いながら上司に報告の電話をかけると、職場の近くで探してくれていた。

親切さに涙しながら(紛失した携帯が見つかって泣く成人男性を初めて見たと言われた)、ほっとして帰宅した。

今回の騒動からルール化したいことは以下の通り。

1.無自覚の時間を極力無くす。
⇒無自覚に携帯電話を置いたことから今回の騒動は始まった。
自分の動作をいつも意識するようにしたい。

2.携帯電話はストラップにつけて使う。
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本物のサービスとは

2012-04-09
柔らかい日差しとパステルカラーが合う季節になったので、イメージチェンジをすべく美容院に行って来た。
かれこれ10年以上も同じ人に担当してもらっている。同い年だから、お互い社会人となった頃からの付き合いだ。
今や彼は店長となり、美容学校出たての20歳前後のスタッフを育て、店舗経営をする責任者となっており、
そろそろ自分のお店も持つことも視野に入れているようだ。

今日は店長さんの話をしたいわけでないのだが、彼のマネージメントにおける、
こだわりの1つに、「若手は褒めない」というのがあるらしい。彼らは「頑張って当然」なんだと言う。
誤解ないように追記しておくと、3年目以上の中堅は褒めることもあるそうだが、
世の中、コーチングやら褒めて伸ばす傾向にある中、ある意味新鮮だった。そして大きな方向性は伝えるものの、
具体的にそのために何をすべきかを、「自分で考えること」をルールにしているそうだ。

その結果なのか、そのお店は、「とても気がきく」スタッフが多い。
お客さんを楽しくさせたり、居心地良くさせたり、
各々が思うサービスの提供を心がけているのだと感じることが出来る。
一辺倒なマニュアルには無い爽やかな対応で、満足した気持ちになれる。

そのような中、私が一番心地良いと感じたのは、シャンプーを担当してくれた若いスタッフだ。
まだ入社したばかりなのだろう、髪の毛はまだ切らせてもらってない様子だったが、
お客さんへのいたわりがとても自然で良かった。トークが上手いというわけでもないし、
シャンプーも取り分け上手いというわけでもないけど、気遣いがとてもナチュラルで、心地よかった。
こちらも自然に「ありがとう。気持ち良かったよ」と感謝の言葉が出てくる。

カットスキルも店を選ぶ重要な要素だが、心地よい気遣い(想い)は、スキルに匹敵する力がある。
更に言えば、スキルがあって気遣いが出来る店は、「また来たい」と思わせる素晴らしいお店である。

髪の毛を切られながらサービス業のあるべき姿と、どんな仕事でも同じことが言えると、
常に上司が話していることを、改めて考えていた。スキルばかり磨いても、
相手への想いがなければ本物のサービスではないということうを今更ながら考えた。
そして、明日から本物のサービスの提供ができるように、
相手を考えた気配り、目配り、心配りを常に心がけるようにしたいと思う。
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死生観

2012-04-06
前回書いたことと直接の関係はないが、
このような二分法は、例えば死生観にも適用できると思う。

元気よく生きてぱたっと死ぬのが幸せなのか、
それとも、例えば癌の宣告をされて、
ゆっくりと近づいてくる死を受け入れて死ぬのが幸せなのか、
どちらを幸せと感じるか、ということだ。

死生観とはある意味で、数ある価値観の指標の中で
究極のものであるため、このような質問は、
その人が本当に何を大事にしているかを理解する上で有効である。

さすがに、このような質問を、
弊社の面談の場ですることは少ないが、聞かずとも、転職者様がどちらのタイプの方なのか
見極めることも必要である。その方が何を大事になさっているか深く理解しないと、
本当に役立つキャリアカウンセリングはできないというのが弊社の考えだからだ。

ところで、先ほどの死生観に関して、両者の考えには、共通するところがある。
例えば、「よりよく生きたい」という思いだ。

このように、相反する二つのものを統合することを、哲学用語でアウフヘーベンというらしい。
止揚(しよう、独: aufheben、アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが
弁証法の中で提唱した概念。揚棄(ようき)ともいう。

ドイツ語のaufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様の意味があり、
ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いものが否定されて新しいものが現れる際、
古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が
新しく高い段階として保持される。
このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法的唯物論が登場すると、
「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として自然や社会・思考の発展の過程で
広く作用していると唱えられるようになった。

私にはそんなドイツ語はさっぱり理解できず、
アイスクリームとバウムクーヘンの合いの子のようにしか
思えなかったのだが、相反するものに共通点を
見いだすことは、考えが対立しているとき、
事態の打開に有効と思われるため、実践してみたい。

アイスクリームとバウムクーヘン、この相反する種類のデザートを
今日は、一緒に食べることにした。
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アポトーシス

2012-04-03
「ものごとにはいつも相反する二つの性質がある」と考えると折り合いがつく。
というのが、弊社代表の口癖のひとつである。それを弊社ではアポトーシスと言う。
「アポトーシス」を考えて!などと言う言葉が社内を飛び交う。

アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、
個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、
管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死のこと。

アポトーシスという用語の本来の使い方ではないと思うが、
人類全体を一つの個体として捉え、人間一人ひとりを細胞として考えると、
人類が生き残るために、人間一人ひとりはいずれ死ぬ運命にあるという見方もできる。

この死すべき定めの中で生きるか、死すべき定めに逆らって生きるか、
という相反する二つの性質の顕著な例として、芸術と経営があると思う。

前者は芸術である。
ゴッホとその作品は生前、評価されなかった。
しかし、ゴッホの絵の価値は不変で、ゴッホの死後、非常に評価された。
作品が生き残り続けるという点で、ゴッホも語り継がれる。
人の死すべき定めの中で生きるもの。といえるかもしれない。

芸術と対照的なのが、経営である。
生きている(存在している)うちに評価されないと仕方がない。
その意味で、経営は、死すべき運命への挑戦と言える。
死ぬ前に結果を出さないといけないからだ。

組織の弊害という言葉があるが、これも、癌細胞同様、
会社組織としては、アポトーシスが機能不全の状態だ。
経営は、組織をいつも健全に保っておかなければならない。

そのためにも、私たちは存在しなくてはならないのかもしれないし、
さもすると、企業の本来持つアポトーシスを不全にしているのかも知れない。
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