高速鉄道事故と中国人の倫理観

2011-07-28
今回の中国の高速鉄道事故において、中国のモラルって一体何なんだと、これまでにも増して不可解に思い、
利己主義が根付いた大国が世界経済を握っていると思うと世の中に不安感を感じる。

以前は中国人の価値観の基本は孔子の「仁義礼智信」に始まる「儒教思想」であると思っていたが、
海外で見てきた私個人的な経験では、中国人の方の大半は自分と家族が中心であり、そのために働く。
メンツが大切であり、「中華思想」=中国が世界の中心であるという考えを持つ傾向にあると分析している。
だから悪い。とは決して思ってはいなかったが、今回の事件を経て、中国(政府)の倫理観というか、
認識が間違っているのではないかと思わざるを得ない。

行方不明者が多い中、どうして生存の可能性がある少なくとも72時間は人命救助に当たらなかったのだろうか。
メンツがつぶれるからといって隠ぺいし、誤魔化そうとする体質。
「何故起きてしまったのか」という反省もない。
彼らの軸はどこにある?

どんな人や場合であっても、隠そうとしたり、その場限りの不誠実な対応は不信感を招き、信頼を損なうことに繋がる。
信頼関係は築くことに大変な時間がかかるが、失う時は一瞬である。
それを国家レベルでしてしまったのだから、どうしようもない、と言わざるを得ない。
全世界に「やっぱり中国は・・」と思わせてしまった。

自分自身への教訓としては、その場限りの対応や表面的な言葉では相手に伝わらないだけでなく、
軽薄な関係のままになってしまう。さらなる信頼関係構築に向けてホスピタリティを心がけ、
常に誠実でありたい。と埋められてしまった車両の映像を見ながら思ったのでした。

それにしても、真面目に働く誠実な中国人の方もいるだろうに、まったく迷惑な話である。

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プラスα

2011-07-28
現在通っているスポーツジムとは大よそ7,8年の付き合いになる。徒歩5分位で行ける非チェーンスポーツジムである。
すぐ近くに大手のジムがあるのだが、従業員の対応やマシーンの内容が良いので敢えて少々離れているそちらを選んでいる。

そのジムと私の関係は何とも微妙な関係であった。今までに少なくとも10回以上は入・退会を繰り返している。
ひどいときは3ヶ月毎に入・退会を繰り返したときもあったくらいである。自分の中では確実な線引きがある。
行く頻度が落ちる=「1回が数万円の高級スポーツジム」になった瞬間に退会を決意している。

昨年までの自分は週に最低でも3回は通わないとそもそもジムに行く意味がないと思っていたからだ。
土日及び平日のどこかで最低1回といったような感じである。
ここ近年はどうかというと昨年のGWからは週末のみという形ではあるが一応継続をしている状態である。
今までは右肩上がりで増え続けていた体重も過去1年に関してはどうやら落ち着いているようだ。
もちろん20代の頃の自分では決して想像出来なかったような、かなりイケてない数値ではある。

恐らく、週末のジム通いを維持しつつ何かプラスαで行えばその分だけ体重が減ることにつながるのであろう。
例えば必ず階段を使う、夜遅い時間のごはんを避ける、夜の散歩、等々、思いつくだけでもかなりのオプションがある。

仕事にしてみても恐らく同じ結果が得られることだろう。日々の仕事をこなすことだけでも大変だと感じるが、
必ずプラスαの要素を加えれば地味ではあるがその結果はどこかで出るはずである。我が上司が「job」と「work」の違いを常に説いているが正にこれのことであろう。

早速、本日より試してみようと思う。
仕事でもダイエットでもプラスαの結果が出るようであれば必ずどちらも同じ結果に落ち着くはずである。
先ずは唯一の楽しみである週1回の「おやつDAY」を控えることから始めてみるつもりだ。
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節電に思うこと

2011-07-21
自分がまだ幼少のときにみた映画で「ゴジラ」という作品がありました。
誰もが聞いたことのある日本の特撮を代表する作品で、少し前にはハリウッドデビューもしていた大人気怪獣です。
最近のゴジラは良く知りませんが、どうやら怪獣対怪獣という子供向けの映画になっているようです。
ですが、もともとゴジラというのは大人に警笛を鳴らす作品であったことを、どれくらいの人がご存じでしょうか?

初代ゴジラのストーリーは、水爆実験により爬虫類の一種が原子力の影響を受け、人類と接触する。
ゴジラは絶えず原子力の何かを体内に蓄える必要があり、発電所などに向かって行く。
その大きさと未知なる生物に危機感を感じ、人類が明日を見出そうと手を打つという典型的なパニック映画です。
最終的には人類の「核技術」によって、初代ゴジラは絶命してしまいます。

という流れから、人類のエゴによって生み出された怪獣は、ただ生きる術を求めるが故に、人類のエゴによって命を絶たれてしまう。何とも傲慢なストーリーでした。
子供ながらに、何とも言えない後味の悪さを覚えていますし、その時に人類の欲深さと業、奢りを書いているんだなと感じてしまったために、面白味が分からなかったと記憶しています。
同作品の制作と上映は1950年代だそうです。

そんな時代から、既に人類が御し得ない代物「原子力」について警笛を鳴らしていたのです。そこまでのメッセージがあったかどうかは別として、ただ「原子力」という未知な力に対する畏怖の念と猜疑心が人々には確かにありました。
近年、発電ということで人類の味方につけたと感じた奢りが、また不安定な状況になってきています。
やはり原子力は味方にはならず、また御しきれていないことも如実に訴えてきている状況でしょう。

これ以上、エネルギーが本当に必要でしょうか。
人類の欲深さと、それに比例していく業の増加現象を、我々はどこで食い止めるのでしょうか。ただただ原発反対と言っていても意味がなく、それの代替え案を考えることも必要です。でもその前に、我々の生活スタイルを見直し、人類が出来る精一杯の技術で賄える消費スタイルを確立しないといけない気もします。間違っても政府や電力会社だけの責任にはせず、我々が創造したモンスターであるという認識を。
試されているのと同時に原点回帰を迫られているというような時代だなと痛感しています。
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人を思わば

2011-07-21
時折、苛烈なまでに右足が痛くなる発作を持っている。
今では珍しくない発作である「痛風」というものである。

誠に遺憾ながら、自身はそれを患っている。
風が吹いただけで痛さを感じるというものが痛風であり、その痛さは想像の域を超える。
本当に歩けないぐらいの痛さなのだ。

食事制限などを設け、普段口にしないモノを食べるようにしているし、禁酒は当然のことである。
プリン体と尿酸値を減らすために、日々精進(我慢)している。

それでも仕事がある日は、家にいられない。駅まではなんとか歩く。そして電車に乗る。
ここで、自身が乗る駅の隣駅で必ず降りる方を見つけて(座っている方)、その方の前に立って、
隣駅からは座れるようにここ最近は行っていた。
しかし、つい先日よりこのルールに乱れが生じてきた。

どういうことなのか。

自身が座れる駅の隣駅から妊婦さんが乗るようになってきたのだ。
その方も自身と同じように席を譲ってくれる人の前に立つようにしているのか、
先日一回譲った時から乗ってくる度に自身を探しているような感じがしてならない。
(というよりも、自身の前に必ず立っている)
そこまで期待されたら、譲らないわけにはいかない。

せっかく見つけたルールも1週間ぐらいで定義変更を余儀なくされている。
まあ、足が痛いぐらいに比べれば妊婦さんが立っていることの方が辛いであろうし、
席を譲ることも至極当然なのだが、ルール変更が早かったことについて少し苦い感じがした。

人を呪わば・・という言葉があるが、その逆もあっていいと思う。というよりも、むしろいいフレーズで残した方が良いだろう。
人を思わば憂い二つである。
自身の心配と周囲の方に対する心配(気配りと言った方が良いか)の二つがいつもあるからこそ、日本なのである。

とはいえ、こんなこと言っているよりも早く病院に行ってお医者さんに診てもらおう。
これが一番良い解決策なのは間違いない。
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相手が本当に言いたいことを理解する

2011-07-06
表面上の言葉とは違うことを人は言いたい場合がある。
この場合、その人が本当に言いたいことが何なのかを理解することが大事だ。

実際に体験した例だが、「昼の休憩は1時間を厳守しなさい」と職場の上司が言ってくる。
この言葉の真意はどこにあるのだろうか?

私は「何故、こんなことを言われなければいけないんだ。サービス残業もしているの
に」と思っていたこともあったが、奥深く相手の意図を考えてみることにした。

背景には、日々の業務においてスピード感や、正確さ、朝の出勤時間や
会社のためにしていると言わんばかりの残業に対する仕事の姿勢に対する不満を
規定で定められたルール=昼休憩の時間厳守で『襟を正せ』と表現しているのではないか?

パワハラだ、セクハラだと言う、被雇用者優位にもとれる環境下において
自らが成長するためにも上司の腹にある言葉を読み解く必要があるのではないだろう
か。

時に「私も老体に鞭を打ち、こんなにがんばってるのに」という上司の不満もあったりする。
実際、上司は自主的に早出、残業をしつつ、昼休みもろくに取らずに仕事をしていたりする。
それで現実には労われているかというと、残念ながら職場の無理解で労われていないことが多い。
鬱積した不満が、「ルールを守りなさい」という形で表現される場合もあるだろう。

実際に違う感覚で上司の発言を意識的に聞いていると、上司の言葉の深い意図や想い、数多くの経験則からの指導、遠回りさせない仕事の仕方への方法論の展開、何より、私たちへの愛情を痛いほど感じた。

行動や雰囲気から、その人の真意を理解し、適切な言葉遣いやコミュニケーションを取ることが大事だと思う。

言葉尻ではなく、その人が本当は何を言いたいのかを、
「良い」や「悪い」という基準を入れずに理解する。そこから始まるのだと思う。

理解することは、自己成長に繋がる。
それとともに口うるさい上司の温もりを感じることが出来た。
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路上のルール

2011-07-05
かつて、伝説のミュージシャンと言われる尾崎豊さんが『路上のルール』と言う作品を
残した。その内容は、人生という路上のルールについてのものだった。
感慨深い詩であったと記憶している。

私の『路上のルール』は現実感のあるルールだ。

自転車が空前のブームだという。駐輪場や自転車専用レーンがきちんと整備されたわけでも、
自転車のマナーが良くなったわけでも、国が後押しする長期戦略があるわけでもない。
それなのに自転車で通勤する「自転車ツーキニスト」と呼ばれる人たちが急増している。
健康にいい、環境にいい、カッコいい。そんな流行の一環が自転車ブームの背景にあるという。
震災による交通マヒが自転車ツーキニストを後押しし、ブームに拍車をかけたという。

ところが、東京は自転車専用道路が整備されているわけではないし、ルールがきちっと確立されているわけでもない。
前出のツーキニストの男性が、都心の主要幹線をトラックやバスの隙間を縫うようにして走りぬける様子は見ている方がヒヤヒヤする。

勝手ながら、車に乗っているときは、歩道を走れよと思い、自分が歩行者のときは、
車道を走れよって思ってしまうものなのだが・・・。
実際は、自転車はそもそも軽車両に分類される『車』であって車道を走ることが原則となっているものである。

幼い子供や老人もたくさん歩いている『歩道』の安全を追求したい。
歩行者が『歩道』を安心して歩けるようにして欲しいものである。
『歩道』を走らざるを得ない場合はせめて、徐行してもらいたい。

ルールを守っておられるツーキニストもおられるだろう。
そういう方が一部のマナー違反者と同様の扱いを受けぬためにも、『路上のルール』を皆で守っていきたいものである。

皆さんの中の『路上のルール』、何かありますか?
人の振り見て我が振り直せという言葉もあります、自分自身も守っていきたいと思います。
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