頑固親父とAKB

2011-06-28
三重県津市という町に面白い時計屋さんが存在する。
創業120年以上の老舗時計屋である。店主の頑固親父は80年代のクォーツ全盛時代、
当時のトレンドに逆行し機械式時計のみを専門に扱う時計屋に舵を切った変わり者である。

何故、クォーツ時計の取り扱いを止めたのか?当時のことを考えると利益を度外視した
行動である。頑固親父曰く「自分の信用を失う可能性のある時計は売りたくない」とのこと。例えば結婚記念に買われた時計の部品が、7年間しかメーカーの保管義務がないことを幸いにメーカーサイドが修理を断るという事態が何度も発生したかららしい。

かなり思い切った決断だったはずなのだが、本人は当たり前のことのようにサラッと話す。
そんな頑固親父には日本だけではなく海外からもお客さんが訪ねてくる。わざわざ時計を探しに・・・である。時計には大して興味は無いが頑固親父に興味があるというお客??も多いらしい。実にクチコミで紹介者が増える仕組みが出来上がっているのである。

頑固親父のサービス精神と私の先輩のコンサルタントはある意味一緒なのではないかと思う。転職においても、色々な理由で満足していない転職希望者に対し、すぐに転職を勧めるのではなく本当に転職することにより問題が解決するのか?転職をせずに解決出来ることはないのかということを平気で言ってのけ、現職での問題点の解決策を打診するコンサルタントがいる。弊社のAK部長、通称、AKBである。

不思議なことにそれでビジネスは成り立つのである。AKBは驚く程に転職希望者からの
相談や、友人・知人・企業様等の紹介が多い。頑固親父同様、海外在住の転職希望者もいたりする。本人は、全く表舞台に出ないのだが、どこからともなく訪ねてくるのである。
転職希望者も求人企業も口コミでの電話をくださるのである。

本人曰く、「転職者や企業様から、信用を失う可能性のある転職はさせたくない。5年後、10年後での就業イメージの湧かない転職はさせたくない。」どこかで聞いた台詞だと思った。頑固親父だ。

サービスの内容に違いはあるが、頑固親父のやっていることと弊社のAKBのやっていることは絶対的なホスピタリティーという点からみると同じなのだ。そのことが顧客からの絶大な信用を築き、安定したビジネスモデルを築いているのだと思った。本質のサービスの追求の大切さを学んだ気がした。私なりの本質を追求していきたい。
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「幸せの定義 その2」

2011-06-28
前回の「幸せの定義」からの続き。 ~自分は自分を理解しているか~
幸せとは「主観的なものであり、自分を理解できていないと感じることが出来ない」様に思う。
自分は何が好きで何が嫌いかということが1つの大きな軸なのではないかと思う。

しかしながら、自分の好き嫌い(YES/NO)が明確な人は案外少ない気がする。
自分自身も含めてだが、その時の状況や周囲の環境によって、「好きでも嫌いでもない曖昧な状況」に
なれるように進化(退化)してしまっている人が多いのではないだろうか。
どうでもいいか、みたいな感じである。核化・個人化した人間関係に希薄さを感じた。

私も、そういった曖昧な状況で過ごしていた頃があり、何が「自分」で「自分らしい」のか
分からなくなり、自分自身を見失っていた時があった。

何が譲れることで、何が譲れないことなのか。
何が自分にとって正しいことで、正しくないことなのか。
環境や状況に流されていくうちに自分なりの線引きが見えなくなった。
自分の「軸」がないことで、自分自身を否定し続けていた様な気がする。

結論に至ったのは、本当にシンプルなことだった。
「自分がどうありたいか」
「自分が好きなこと、楽しいと思うことをしよう」

それまでは、すごく周りがどう思うかとか、自分がどう見られているかとか、
「私はXXしたのに、相手は●●してくれない」とか、細かなことを気にしていたように思う。

結局は「自分がどうしたいか」ってことが大切なのだ。と気づいて思考の闇から解き放たれた。

それからは、自分の「嬉しい・楽しい」って動いた感情を「私が好きなこと」って考えるようにし、
相手の感情や行動に動揺・流される前に「そもそも自分はどうしたいのか」と考え、
「本質」を見失わないように意識している。

幸せとはありたい自分であること。
自分のあり方がわからないと自分らしくはなれない。
自分らしくあるために軸を持つ。
自分軸に基づいた成功や失敗は納得感もある。それは幸せなのかも知れない。
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「幸せの定義」

2011-06-21
一か月に1度か2度あることなのだが、先日、とある居酒屋で社内のメンバーと「コアについて」「これからしたいこと」等、4時間以上の激論が交わされた。

コアをどういう会社にしていきたいか等それぞれの熱い思いの話の中で、些細な会話だったが「幸せとは何か」ということについて私は思いが巡った。
「幸せとは主観的なもの」であり、主観的なものであるからこそ、自分を理解していないと幸せを感じることが出来ない、ということ。この時に、2つ考えたことがある。

1つに、キャリアと合わせて考えたときに、何が幸せと言えるか。
2つ目に、自分は自分を理解しているか。

今日は、まず、キャリアでの幸せについてまとめてみた。
他人の人生の岐路に携わるコンサルタントとして、「その人の幸せ」とは何かを考えていた。
年収が上がること、仕事の内容が変わる(例:営業マネージャーから営業企画)、安定した会社で働ける
こと。人が転職したい理由や会社を選ぶプライオリティは様々である。
これらはすべて表面的な理由に過ぎず、それが叶うことで転職希望者の本質の幸せが得られるのか、ということを、最近よく考えるようになった。

人も会社も余裕がない、この環境下において、中途採用は当然ながら「即戦力」を求める。
「経験しているか・していないか」がまず選ぶ基準となっているため、マッチングにおいても必然的に、そこに目が行く。だから、経験してきた仕事で、さらなるキャリアアップを目指せる環境なのであれば、「マッチしている」と思ってきた節がある。
間違ってはいなかったと思う。その上で「XXXを目指すのであれば、ここの会社で△△な経験を積むと□□となるよう意識してキャリア構築するといい」とキャリアプランを提案することが通常のキャリアコンサルタントのアドバイスだと思う。

しかし、転職希望者の願う幸せの本質がどこにあるのかを知り、またその人自身が自分なりの幸せを自覚できたなら、もっと働く意味や意義を感じることが出来る。その上で構築された本当のキャリアプランを提案できるのが、本物のキャリア提案だと思った。
全転職者がそこまで考えているわけではないと思うけれど・・・・・

私自身がそうして人の役に立てることで「幸せ」を感じることが出来るのなら、
それも、自分が主観的に感じることの出来る「幸せ」なのでいいではないか!

大切なことは、細かなことじゃなくて、何が「幸せ!」と思えることなのだ。
大切なことを見失わないようにしたい。

PS:2つ目の「自分の理解について」は次回へ!
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方向性の違い

2011-06-20
先日、営業の若手社員から『路線や目的地の出口が覚えられない』と相談をうけました。
そこで私は彼に『上司と営業に出かける時は、電車のどのあたりに乗って行くと
改札口に近く、降車駅では、どこの出口を出れば目的地に近いのか位は調べておくと、
少しずつ詳しくなるよ。』『気配りが大事なんだ。その積み重ねだよ。』
とアドバイスをしました。すごく納得しているようでした。

一週間後、そんな彼の担当する企業に私が同行することになったのですが、駅でのこと。
階段を上がった私は、彼に聞きました。『どっちの方だっけ?』
すると彼はこう答えました。『渋谷方面は1番線です。』
一瞬、言葉を失ったというか、そのまま、諦めの境地に立った。

その日の夜、取引先の方との会食に、その彼と参加することとなった。
場所は彼が押さえてくれたのだが、駅の中間にあるお店だった。
非常に美味しい食事で取引先の方も喜んでくれたのだが、帰り道に事件は起こった。

若手社員『私はこちらです。○○様と部長はあちらに△△駅がありますので、
こちらで失礼します。』私たちが話ながら、歩くこと10分、真逆の駅に到着した。
私と取引先は本当に到着するはずの駅の地下鉄に乗る予定だったので、タクシーで
戻ることとなった。笑いごとで済んだので良かったが、危険な男である。

しかし、私は一つの答えに辿り着いた。
明らかに方向性の違う人間はいるものだ。彼は非常に優秀な営業マンであるが、
天は二物を与えずということで理解することとした。また、昼間の彼の行動で
不信感を抱くことなく、違う駅の方向に進んだ自分を少しだけ責めた。
『蛇の道は蛇いうことである。』それを私のルール化とした。
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コミュニケーションのすすめ

2011-06-14
先日、とある会社様の新入社員研修に講師として参加させて頂きました。
私の担当は『本当のキャリア構築と入社三年で学ぶべきこと』という事で
転職市場を良く知る観点からで良いとおっしゃるので、お話してきました。
その時に気付いた事なのですが、色々と話を進めていく上で、
最近の男女の意識差に驚かされました。
下記が私の調査結果です。

・自己アピール、自分自身の明確なキャリアを持っているのは、女性社員
・恥ずかしそうに髪の毛を何度も触りながら話すのは男性社員
・髪の毛を後ろでまとめ、額全開のアピアランスは女性社員
・マメにノートを取る。ウンウンうなずく・・・・圧倒的に男性社員
・人を食い入るように見て、質問攻め・・・・圧倒的に女性社員

正直言うと、ビックリしました。マスコミが騒ぐ、草食系男子というのは、
こういうことだったのだ。更に昼食時のトイレや休憩室で、髪型や顔を何度も
見て化粧直し的な行動が目についた。装飾系男子でもあるのだ。

何人かの男性社員に話かけてみたが、確かに優秀であり、時事ニュースや知識は
あるのである。しかし、生き残る知恵であるとか、コミュニケーション能力が全く無いに等しいのである。
友人の少なさにも驚愕した。気が合うのがあんまりいないとのことだ。
学歴社会における教育熱がこうさせたのだろうか、でも女性はハツラツとしている。
不思議な感覚に陥った。

挨拶、お辞儀、大きな声での発表、簡潔な回答・・・
新卒教育の大変さを知るに至った。ただ、何の確証もないが感じたことがあった。
男性社員の多くは、明らかにコミュニケーション不足なのである。
社会に出て、好きも嫌いもなく、取引先や上長、同僚がいる。
それも会社が教えることなのだとしたら・・・。企業の教育的役割は大変なものだ。
いや、女性社員に期待した方がいいのかも知れない。

ただ、昔のように怒ってくれる近所のお兄さんやおじさんもいなくなった。
そういうお兄さんやおじさんや私もよその子供に興味がなくなった。
教育とは何なのか改めて考えてみたくなった。
私なりに、親御さんや警察からクレームが来ない程度に近所の子供にコミュニケーションを図っていこうと思った。
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日本語を知らない日本人

2011-06-09
先日知人と会話しているときに面白い話を聞きました。
その知人は営業の仕事をしております。同期の中でもトップセールスマンであり、
自己研鑽も忘れず、努力家である人物です。
その彼が営業先のクライアントと揉めてしまったというのです。
揉めてしまった原因は下記の通りでした。

※クライアントと知人がプライベート(家庭の話)をしている一幕
知人「お孫さんかわいいですね、これでは目に入れても痛くないですね」
●●(クライアント)「そうなんだよ、かわいくてね。うちの息子夫婦も大層可愛がっているんだよ」
知人「いやー、無理もないですよ。こんな可愛いのですから。でもバカ親ですよね。」
●●「?!」
続けて知人「お孫さんの服装もセンス良いですよね、正に孫にも衣装ですね。」
●●「?!?!」

何が起きたかは言うまでもなく、その日の話は全てご破算。入り込む営業が得意の彼でもさすがに怒られたそうだ。
それを聞いて、呆れたというよりも笑ってしまった。

博識でクライアントからの信頼感も強く、勤勉で真面目な人間というイメージがある彼の大失態は日本語表現知識の低さであった。

言うまでもないが、
・上記の流れの中で、目に入れても痛くないというセリフがあり、これの使い方は正しい。
だからこそ、その後のセリフが「間違っていることを知っていて使っているのか?」という認識になってしまう。
・バカ親というのは「バカな親」であり、「親バカ」、「子煩悩」の意味は出ない。
・最後の孫にも衣装は完全な間違い。まったく「正に」ではない。正確には馬子。

まったく呆れた話だが、別の知人は珍しくないと言う。最近の日本人は日経新聞(日本語標準とされる)に書いてある単語すら意味の把握が出来ないようだ。

みなさんはいかがですか?正しい日本語を使えますか?
変な日本語を遣っていると、知らないところで損をしている可能性が大いにあります。
自分も人の振り見て・・、気をつけます。
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