温故知新

2012-10-05
企業の大切な採用に関わる倫理憲章で定められた解禁日である10月1日は、恒例行事といえる内定式がある。
採用に関わる職業柄、内定式に対しては、長年、思うことが多々あり、疑問が年々深まっているため、
今回は、あえて大胆な提言をしてみたい。

実際、「内定式」なるものの意義や有効性、大学生の修学軽視といったところへの"理詰め"な疑問と、
組織の形式主義や窮屈さを感じる"感性的"な引っ掛かりや反発心を持っている。

内定式の意義は「新卒一括採用」や「モチベーション向上」、「会社の代表訓示」、
「新卒の同期とのコミュニケーション」などが挙げられると思う。
しかし、「内定証書」授与と承諾書提出が主な目的なら、本人に渡す証明をしてくれる簡易書留で十分ではないか。学生の他社との「二重内定」防止のためだけの設営なら、社長や関係取締役もこの日のために準備と当日の拘束があり、ホテル予約などもあり、そのコストに見合うほど重要なものか。

内定者は、入社する頃には、半年前の代表の話を、大半はメモしたことすら忘れているのが正直なところだろう。
会社の前例踏襲主義のカルチャーや社内アピールだけの場になっていないか。
「業務改善」を提言しても全くおかしくないし、現に見直しを指示する会社もある。
だから、学生にも企業にもあまりエネルギーを割くほどのものでもないので、あえて突っ込んだ提案を申し上げると、廃止を前提に考える時期なのではないか。

そもそも、「内定式」なんて、国外の企業では、あるわけがない。
日本の「大量生産・大量消費・大量採用」時代の"ガラパゴスな20世紀の遺物"に過ぎない。
グローバル・ビジネスを標榜する企業の社長が、思い切りドメスティックな内定式で、全員黒の画一的なリクルートスーツに決め込む学生の面前で「皆さんはグローバルな社会に生きていて、ダイバーシティを涵養し、
主体的に、そしてメイク・ア・デファレンスを・・・」と訓示をしたら、これこそ「ブラック・ユーモア」以外の何物でもない。

何が大切で、意義はどこにあるのか。変革の時代というのは厳しい時期だ。
個々人が、物事の本質を見極めて行動しなければならない。
今の時代の荒波が、今後、更に厳しくなっていくことは明白だ。「右向け右」ではなく、「そもそも右を向く事の意味や意義が何なのか」を考えて行動していかなければ、これから先の一層厳しくなる荒波は越えていけない様に感じる。
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結婚観

2012-06-15
日を追うごとに薄れていくのは、当初抱いていた結婚に対するイメージである。
入籍前と現在では、結婚に対する考え方が180度異なる。

元来、日本の婚姻制度は「お見合い」が一般的であり、恋愛の末の婚姻というのは稀な現象である。
このお見合いであるが、一体何を見合うのか。
一概には申し上げられないが、いわゆる「覚悟」や「人生観のすり合わせ」などであろう。
人生の一大イベントであり、赤の他人と一生涯伴にすることを約束する相手を選ぶというものであるから、
ただ単に好き嫌いでできるものでもなかろうというのが本来のお見合いの意味合いなんでしょう。

最近ではお見合いで結婚している人は少なく、恋愛の末に結婚ということが主流となっている。
結局好き嫌いで、人生の生殺与奪を決めてしまうことが一般的になってきたのです。
ということは元より結婚観というのは希薄になってしまっているのではないかと思います。

では一体何を見据えて結婚するのか、何を期待するのか、何を望むのか。
これらが結婚観と言えるのではないかと思う。これらの考えはむしろ結婚してから、
より深く考えるようになった。現実を見て、堅実な路線で考える。
だから結婚前に考えていた無謀とも言える空想論からかけ離れる。
理想だけ言っている人には現実は見えていない。
夢想家なのである。

実は、これは転職の選択肢と相通ずるところがあると思う。
転職先に理想を追い求めていても、何も得られない。
結婚相手に理想を追い求めていても、相手が見つからないのと同じである。

好き嫌いで物事を決めるのも結構だが、それだけで社会が回るのであれば苦労はいらない。
しっかりと現実を見て、取捨選択しないと転職市場でも結婚市場でも出合えない。

理想を追い求めていることはある一定レベルでは必要である。
結婚に限らず、自分よりも大切に想える対象があるということはとても素敵なことだと思う。
しかしながら、多くを望んでいたら何も解決しないというのが最近の世相ではないだろうか。
身の丈を知り、現実を捉え、それでいて希望を見つめる、というスタイルを忘れずにいきます。
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死生観

2012-04-06
前回書いたことと直接の関係はないが、
このような二分法は、例えば死生観にも適用できると思う。

元気よく生きてぱたっと死ぬのが幸せなのか、
それとも、例えば癌の宣告をされて、
ゆっくりと近づいてくる死を受け入れて死ぬのが幸せなのか、
どちらを幸せと感じるか、ということだ。

死生観とはある意味で、数ある価値観の指標の中で
究極のものであるため、このような質問は、
その人が本当に何を大事にしているかを理解する上で有効である。

さすがに、このような質問を、
弊社の面談の場ですることは少ないが、聞かずとも、転職者様がどちらのタイプの方なのか
見極めることも必要である。その方が何を大事になさっているか深く理解しないと、
本当に役立つキャリアカウンセリングはできないというのが弊社の考えだからだ。

ところで、先ほどの死生観に関して、両者の考えには、共通するところがある。
例えば、「よりよく生きたい」という思いだ。

このように、相反する二つのものを統合することを、哲学用語でアウフヘーベンというらしい。
止揚(しよう、独: aufheben、アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが
弁証法の中で提唱した概念。揚棄(ようき)ともいう。

ドイツ語のaufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様の意味があり、
ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いものが否定されて新しいものが現れる際、
古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が
新しく高い段階として保持される。
このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法的唯物論が登場すると、
「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として自然や社会・思考の発展の過程で
広く作用していると唱えられるようになった。

私にはそんなドイツ語はさっぱり理解できず、
アイスクリームとバウムクーヘンの合いの子のようにしか
思えなかったのだが、相反するものに共通点を
見いだすことは、考えが対立しているとき、
事態の打開に有効と思われるため、実践してみたい。

アイスクリームとバウムクーヘン、この相反する種類のデザートを
今日は、一緒に食べることにした。
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アポトーシス

2012-04-03
「ものごとにはいつも相反する二つの性質がある」と考えると折り合いがつく。
というのが、弊社代表の口癖のひとつである。それを弊社ではアポトーシスと言う。
「アポトーシス」を考えて!などと言う言葉が社内を飛び交う。

アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、
個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、
管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死のこと。

アポトーシスという用語の本来の使い方ではないと思うが、
人類全体を一つの個体として捉え、人間一人ひとりを細胞として考えると、
人類が生き残るために、人間一人ひとりはいずれ死ぬ運命にあるという見方もできる。

この死すべき定めの中で生きるか、死すべき定めに逆らって生きるか、
という相反する二つの性質の顕著な例として、芸術と経営があると思う。

前者は芸術である。
ゴッホとその作品は生前、評価されなかった。
しかし、ゴッホの絵の価値は不変で、ゴッホの死後、非常に評価された。
作品が生き残り続けるという点で、ゴッホも語り継がれる。
人の死すべき定めの中で生きるもの。といえるかもしれない。

芸術と対照的なのが、経営である。
生きている(存在している)うちに評価されないと仕方がない。
その意味で、経営は、死すべき運命への挑戦と言える。
死ぬ前に結果を出さないといけないからだ。

組織の弊害という言葉があるが、これも、癌細胞同様、
会社組織としては、アポトーシスが機能不全の状態だ。
経営は、組織をいつも健全に保っておかなければならない。

そのためにも、私たちは存在しなくてはならないのかもしれないし、
さもすると、企業の本来持つアポトーシスを不全にしているのかも知れない。
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