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負けても器は磨かれる

2022-06-25
先日、世紀の一戦とされた格闘技の試合があり、
団体のエース同士が戦い、勝敗が決した。
まさしく命を懸けた死闘であり見ごたえがあったが、
同時に、負けた方が失うモノの大きさは計り知れなかった。
積み上げてきたもの、時間、プライドを全て賭けた勝負だった。

一般の人が、これほど世間の注目を集める勝負に
身を投じる事はまずないだろうが、
我々の生活は日々、小さな勝負の積み重ねだと言える。
コンペのプレゼンや昇進試験などは当然ながら、例えば
「あの嫌味な上司にどうやって承認を得たらよいのか…」
「時間を守る事の大切さを子供にわかってもらうにはどうするか…」
「ダイエットすると言いながら既に2か月経過した…」など、
これら日常の小さな(でも意味がある)勝負事に対して、
どれくらい自分の頭を使って真剣に挑み続けているかが
結局、人の強さや魅力の違いを生み出している気がする。

凄まじい努力をして臨んだとしても、勝負事である以上、
敗者になる可能性はある。そして、目的達成のために
努力した過程が自分に刻まれているからこそ、
「勝負に負けた」という強烈な感情が自分の中に入り込んでくる。
ここに、とにかく価値があると思う。
自己否定を含むので、もちろんしんどい局面なのだが、
自分と向き合い客観視する機会が得られる分、
強さも弱さもしっかりと自己認識できるようになる。
ひとかどの人たちが持つ「人間力」とはきっとこういう部分の違いであり、
目の前の何かと勝負している様に見えて、実は自分と戦っているのだ。

今から夏に向けて、体を絞り込もうとする人は多いと思うが、
同時に自己認識のシャープ化に取り組んでみるのはどうだろうか。
難しく考えず、一つ一つの日常の勝負に惰性のリアクションをせず、
例えば「食べるもの」「着る服」「乗る電車」「挨拶のタイミング」など
全てに対して「私はこう考えて、これを選んだ」と意識する事から始めてみる。
勝ちも、負けもそこに至る過程が明確なら、いずれも価値がある。
自分の器は、その小さい勝負での磨かれ方で形が決まっていくのだと思う。
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食べて初めてわかる味

2022-06-05
最近、ショッキングな出来事が起こった。
私は映画を見るのが好きで、
毎週金曜日の帰宅前に近くのレンタルビデオショップで数本の映画を借りていた。
しかしその店舗もついに閉店してしまった。

閉店してからは、自宅から3駅も離れたレンタルショップに通っていたが、
仕事帰りに立ち寄れないこともあり億劫となっていった。
友人からは、「Netflix (ネットフリックス)とかストリーミングサービスでいいのでは?」と言われたが、
年齢のせいもあるがネットに疎く、ストリーミングサービスに苦手意識を持っていた。
「どうせ、自分が好むようなマニアックな映画はないだろう」
「スマホやパソコンのモニターでは、大画面のテレビモニターのような迫力や臨場感は味わえない」
というように、デメリットばかり気になってしまい、受け入れることに抵抗があった。
しかし、友人から「この先、店舗なんて、またいつ無くなるか分からないし、一度試してみたら」と言われ、
「それもそうだな」と思い、あまり期待せず登録してみた。

実際、使ってみると、ジャンルを問わず、様々な国の動画を見ることができ、
私の好きなカテゴリーの映画も複数見ることができた。
また、ストリーミングサービスに登録しないと見なかったような映画も、
見てみると、案外面白く、新しい出会いもあった。

つまりは、散々敬遠していたストリーミングサービスにはまり、レンタル店通いを卒業してしまったのだ。

自分もそうだが、馴染みの無いモノや興味がないコトを受け入れることが苦手な人も一定数いるだろう。
ただ、今回の経験で改めて気づいたことがある。
自分には馴染みがないと思っていたモノ、興味がなかったコトも受け入れてみると、
意外としっくりくるモノもあるということだ。
また、新しい発見、気づきなどにもつながり、自己変革のきっかけにできる事すらある。
きっと、私の様に年齢を重ねてきたからこそのこだわりがあると、余計なノイズで視界不良なるのだろう。

仕事でも同じことが言える。
毎月、決まった日に労働の対価として賃金を貰う訳だが、好き勝手な事をして貰えるわけはなく、
会社から与えられる業務があり、その業務を遂行することで賃金が初めていただける。

そのような環境下で「その仕事は、興味がないのでやりたくありません!」等と
平気で言う社員がいるという話を管理職の方がお話されていて驚いたことがあった。
好きなことだけにこだわり、興味の無いことや嫌なことに消極的では成長は望めない。
自分の中にある「好きか嫌いか」だけで判断をするというのは、
特に若ければ若いほど将来の伸びしろを狭める行為であり、とてももったいない。
興味のない仕事だったとしてもまずはやってみることが大切なのだ。

有り体だが、取り組んでみると、興味がでてくるかもしれないし、
仮に興味が沸かなくても、結果として新しい気付きを得られるかもしれない。
幸運な偶然を手に入れるには、ほんの少しだけ、重い腰を上げるだけでいい。
そう、レンタル店通いから卒業した私の様に。
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ゼレンスキー大統領のスピーチ

2022-05-13
ロシアによるウクライナ侵攻についての報道がない日はない。
2月や3月の頃と比べると、報道される時間は短くなっているとは言え、
彼らの「恐怖」や「どうにか助けてほしい、力を貸してほしい」という切実な訴えが
今でも鮮明に思い出されるほどの光景・言葉をたくさん目や耳にしてきた。
それは他の紛争地帯の「とある国の戦争」という報じられ方ではなく、
当事者意識をもって欲しいと、オンラインなども駆使して世界に支援を訴え続けている
ゼレンスキー大統領の必死の発信があるからこそだと思う。
各国の議会や国際機関にて演説をしていた姿もまだ記憶に新しい。

当然スピーチライターがいるだろうが、見事に各国の国民に合わせた内容・言葉選びが印象的で、
心に訴えかけるスピーチだったのではないかと思う。
アメリカの議会では、「自由」や「独立」などアメリカ人が共通して大切にしている言葉や、
「911」を思い起こさせるなどで訴え、日本の国会でも原爆にはあえて触れず、
「原発」や「サリン」、ロシアの侵略を「Tsunami」と表現するなど
日本人にとって身近な恐怖に触れ、当事者意識へと導いた。

巧みなスピーチテクニックももちろん必要とされるが、演技などでも同じで、
いくら技術を凝らして、魅力的な言葉を並べても相手の心に届くメッセージにはならない。
人の行動は、どれだけ心が動かされたか、その人の心が決めているから。

しかし相手の心が動くメッセージというのは、言うは易く行うは難しで、一朝一夕ではいかない。
私たちは「伝えた」と「伝わった」は違う、ということを思考に刷り込まれるほど教えられてきた。
それでも、「このポジションだからこそ未来が輝く」と考えて
純粋にお勧めしても伝わっていない事の方が多いかもしれない。

相手に伝わるためには、相手のことを知りたいと思う想い、伝えたいという想い、
そして、圧倒的な基本の知識が欠かせない。
ゼレンスキー大統領のスピーチの事例にもあるように、
相手の目線・思考・文化・経験に合わせて伝えていくことが大事であるため、
それぞれの国のことを知識として持っていることが前提であり必要となる。

私たちの場合、業界ならではの慣習、もちろん職種の理解など基本となる知識と理解は当然として、
他人のキャリア人生についてアドバイスする立場だからこそ、
何がキャリアアップに繋がるのかというキャリア観も磨き続ける必要があると思う。
さらに、知識だけではなく、その方が現在に至るまでに辿って来た道のりや、
大切にしている価値観、そういった人生の背景を踏まえて、相手の立場に立ち、
頭ではなく心で理解できる伝え方を日々考え続けることこそが、
私たちの仕事の基本だと言えるかもしれないと思う。

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愛される理由

2022-04-15
コロナの感染者が再び増え始め、多くの会社が生き残る為に必死で知恵を絞っている。
そういった中でも、お客様から必要とされ、応援される会社・人に共通するものは何だろうか?

サービスの質、世の中の需要という前提はあるものの、
やはり、他者に対してどれだけ思いやりを持って向き合ってこれたかに尽きるのではないだろうか?
当たり前のように聞こえるかも知れないが、自分のことで精一杯になってしまうと、
中々難しいものである。

以前ブログで取り上げた、地元でイタリアンレストランを経営している友人が、
濃厚接触者となり、止むを得ず臨時休業することとなってしまった。
感染防止ルールに則り運営し、私生活でも細心の注意を払ってのことなので致し方ない。

本人のSNSには、お客様へのお詫びの言葉と共に、悔しさが溢れ出ていた。
その投稿に対して、友人だけでなく、多くの常連さんと思われる人達からの激励の
メッセージが多数寄せられていた。
間違いなく、営業を再開する際には、瞬く間に常連さんで満席になり、
前の様に行列の絶えない店になるだろう。

何故ここまで応援されるのか考えた時に、
彼が料理の美味しさ以上に、コロナ禍でお店の経営が大変な中でも、
お客様への気配り・心配りを欠かさず、より美味しいメニュー作り、お店づくりを
していたことが、お客様に伝わったからだと思われる。

私が食べに行き、最後の1人になった時も、不安な表情は微塵も見せず、
新しいメニュー開発と共に、試作を食べて美味しいと言った私に
『感染リスクがある中でもお客様が来てくれる以上、
美味しいものを食べて少しでも元気になって帰って欲しい。大変なのは皆一緒だから。』という、
彼の言葉と仕事の姿勢を見て、改めて頭が上がらないと思った。

誰も見ていないところでも、人を想い、一切の妥協をしなかったからこそ、
いざという時、多くの人に応援され、愛されるのであろう。
思い通りにいかない時こそ、相手を想い、気遣う精神を忘れずにいたいと思う。
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意識の矢印

2022-04-01
映画の授賞式で俳優が司会者を平手打ちした、
というニュースに様々な人が反応している。
当初は「男(旦那)としてカッコいい」などの
好意的な意見が多かったように思うが、
時間が経つにつれ「暴力は絶対ダメ」という
風向きに変わりつつある。
最悪、会員から登録抹消される等
極めて重いペナルティを課される可能性が出てきた。

ハリウッドの受賞式だと現実離れしているので、
例えば、普通のオフィスにシーンを置き換えてみる。
家族をからかった同僚をいきなり殴ったとなれば、
もはや美談というよりも、かなりやばい人物だろう。
組織における彼の立場は相当危ういものになるだろうから、
家族を守るという本来の動機からすれば、真逆の結果になる。
今回の俳優さんにもいくつかの選択肢があったはずだが、
直接的暴力を選んだ背景には、大スターとしての「驕り」や
自分がどう見られているかという「エゴ」の強さがあったかもしれない。

もちろん、本来俳優サイドは被害者である。
「からかい」や「いじり」はいじめと紙一重であり、
発する側にはジョークとして成立させるための技量がいる。
今回のプレゼンターも確信犯的アプローチだったと思うが、
事前準備やシミュレーションの時間が十分にあった中で、
「あえて」あのジョークを選んでしまうのはやはり「エゴ」のせいだと思う。
前提として、プレゼンターは黒子に徹するべきだと思うが、
自分のためのウケを取りに行き、文字通り痛い目を見ることになった
(コメディアンはそれもおいしさに転化できるのだろうが)。

誰かのためにやっていたはずなのに、
エゴや承認欲求のせいで自分中心になってしまう事はよくある。
また、人の言葉や感じ方は複雑で奥深いものだと思うが、
自分中心の意識が強くなってしまうと、
その解釈もご都合主義で表面的なものになってしまう。
厳しい意見に見えて、とてつもない優しさが背景にあったり、
応援している体で崖から突き落とそうとするものだったりを
自分で判断し、見極めることが難しくなってしまうのだ。

相手の本心がどこにあるかはわからないにしても、
自分の「意識の矢印」がどちら向きになっているかは、
少なくとも意識しておきたいと思った出来事だった。
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