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JOKER -ジョーカー-

2019-11-11
※多少ネタバレありなのでご注意ください。

最近始めたことなのですが、映画鑑賞や美術鑑賞・舞台鑑賞など、
1か月に一度は様々な芸術に触れる機会を持つようにしています。
ただ鑑賞するだけでは「素晴らしかった~!」で終わってしまうので、
学んだことや感じたことなど、ブログでアウトプットさせていただきます。
第一弾は、アカデミー賞も確実と言われる話題作、映画「ジョーカー」です。

本作はR指定なのですが、その内容から上映にあたっては
ロサンゼルス市警やFBIが警戒態勢を取るほど、
色々な意味で、様々な人の心を揺さぶる作品であると思います。

まず私が絶賛したいのは、ジョーカー役を演じた、
ホアキン・フェニックスの演技です。圧巻です。
ジョーカーのあらゆる不安定さ、狂気を細部にわたって表現しています。
貧困ゆえに肋骨や肩が浮き出るほどに痩せた男、
「失笑恐怖症」ゆえの悲しみ・絶望が混じる笑い、、、。
プロフェッショナルとはこういうことを言うんだろうなと思い、尊敬しました。
ホアキン・フェニックスの演技を見るだけでも価値があると思います。

「ジョーカー」について初耳の方のために、ザクっとあらすじをお伝えすると、
バットマンの宿敵で有名なジョーカーのオリジンを描く物語です。
コメディアンを目指しピエロメイクの大道芸人として、
病弱な母親を支える心優しい面を持つ「アーサー」が、
徐々に狂気の道化「ジョーカー」へと変貌していきます。
社会的な背景も重要なのですが、描かれる時代は経済格差が激しく、
チャップリンの喜劇(非常に象徴的です)を劇場でみながら大笑いする富裕層と、
ゴミ清掃会社のストライキによってゴミが街中に溢れ、
職も金もなく、薄暗く不気味な空気に蔽われるゴッサムシティ。
アーサーは社会の片隅のさらに片隅に追いやられているような存在です。

さて、映画の感想ですが、何と表現したらいいのか非常に難しいです。
本作を観てどう感じるのかは、観客一人ひとりに問われているように私は感じました。

単純に「社会が悪を生んだ」ととらえる見方もあると思いますが、
後半の重要なシーンで、ジョーカーが『善悪は主観によって決まる。
笑いも同じだ。』と真顔で言うのですが、
ハッとさせられ、ここに全てがあるように思いました。
悪を生んだ社会が悪いという考えや、逆に悪を正当化してはいけないという考えだろうが、
この作品ではそこの社会性についてはあまり重要ではないのだと思います。
むしろ、私自身が思う正義とは何か、幸福とは何か、私の主観を問われているように感じました。

今はインターネットやSNSなどで真偽は不明な情報や他人の意見が
溢れる中で私たちは日々生活しています。情報の中に埋もれ流されて
生きているのかもしれません。または、傍観者になりすぎていることもあると思います。
そんな時代だからこそ、自分は何を考える?何を思う?と自分の考えを持ち、
自分の正しいと思う軸を持つことの大切さを考えさせられました。
誰かの悲劇の傍観者になっていないだろうか、と自分自身が問われた気持ちになりました。
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失って初めて気付く大切なもの~

2019-11-05
よく聞く歌の歌詞に一つはありそうなセンテンスだ。
最近この歌詞のような体験をした。

先日急な体調不良になり、病院へいくと食物アレルギーの疑いがあると
アレルギー検査を受けることになった。
前日に食べたものをもとに検査項目は『卵』『小麦』『ウリ科』『ナス科』。
検査が出るまでどれが体調不良を引き起こすものかわからない為、
一週間上記の項目のものに当てはまるものが食べられなかった。
食事の時、食べるもの・原料に気を付けなければならず大変だったが
特に困ったのが『卵』『小麦』だ。
主食としては米以外の麺類・パンはもちろん小麦粉が使われていることを始め、
米は大丈夫だからと、カレーを手に取ると物によっては小麦粉が使われている。
他、大好きなチョコレートには鶏卵を使っているものもあったり、食事以外のおやつ
も制限された。

一週間後、結果は検査項目で『小麦』のみがセーフ。
卵はやはりダメだったのだが、小麦製品が食べられることに安心したし
久しぶりに食べた時のありがたさ・おいしさはひとしおだった。

もちろん他のひっかかってしまった検査項目の食材を食べられないことは
非常に残念だが、今食べられるものの有難さを知ることが出来た。

『今あるもの』への実感、今身の回りにあるもの、環境に対しての有難さというのは
日常では感じにくいのかもしれない。
ただ、振り返ることは出来る。

少し飛躍するかもしれないが、自分の職務経歴書を
書いている時にも同じようなことを感じた。
当たり前にあった環境を一つずつ振り返り、
なにをやってきたか、どんな状況でどんな気持ちでいたか。
当時は通常だったことも、振り返ったその時には
ありがたいことだったのだなと感じることが出来た。
同じ時はもちろん来ないので、今ある環境で出来ることをする。
これまで親をはじめ人生の先輩方には幾度となく言われてきたが、
そういうシンプルなことが、失ったときに後悔がなくなる方法で
感謝の気持ちはなんらかのターニングポイントで、
納得感を持ってきてくれるのかもしれない。

ふとした時に、振り返りと環境への実感は忘れないようにしたい。
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強い人

2019-10-29
先日の社内ワークショップでの出来事だ。
「精神的に強い人と聞いて思い浮かべる人は」という質問に対する参加者の答えが、
サッカー選手であったり作家であったりと様々で、どの答えもなるほどと思うものだった。
一方で、共通点も確実にある。
精神的に強い人は、どういう状態があるべき姿なのかを体感として知っていて、
不調のときに戻す力が働くということだ。
ぶれない軸や芯があるといってもよいかもしれない。

採用面接においてよく聞かれる質問の一つに成功体験があるが、失敗体験もよく聞かれる。
挫折のない人間を雇用するのに企業はリスクを感じるからだ。
失敗があるのは当然で、大切なのは、失敗をどのように乗り越えたかということ。
低迷したときに、「現状から上げなくては」と焦っても、空回りしてしまうことが多い。
むしろ先ほど書いたように、あるべき状態をイメージして、
その状態に戻ろうとする方が上手く行く。
苦境で何を感じ、何を考え、自らどう行動したか。
結果だけではなく、どのような思いをもって取り組んだか、という部分を含む
全体のプロセスが非常に大事だ。

平成を前期、中期、後期と分けるとしたら、
少なくとも後期以降の中途採用は、確実に業務プロセス重視の傾向が強くなった。
令和の時代においても、この流れが続くと思う。
業務プロセスをどうしているかをとっさに聞かれると、
意外とスムーズに説明できない人が多い。
ここに、採用選考を突破したり、
転職に限らず、仕事でより高い評価を得るポイントがある。
弊社のキャリアコンサルティングでは、そういったこともお伝えするように努めている。
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ラグビー日本代表、活躍の背景

2019-10-21
現在、ラグビーワールドカップが開催されております。
毎週のように日本代表が感動をもたらせてくれるプレイの連続で、
私たちに勇気と希望を与えてくれています。

私自身もラグビーをしていたのですが、
ラグビーというスポーツの熱さと人に与える影響力を改めて感じました。
例えば、ラグビーは後方へのパスしか認められていません。
巧みなパスワークをしながら前へ進む時もあれば、
スクラムを組んで押し合いジリジリと前へ進む時もあります。
相手の陣地へ侵入し、前へ前へとボールを進めていくスポーツです。
みんなでひたすら前進していきます。
自分がおとりになって味方にパスを繋げるプレーなど、
瞬時に判断をしなければならない場面も多く、チーム連携が必要とされます。

「One for all, All for one」という言葉があります。
よくラグビーを題材にした番組などでは耳にする言葉です。
「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」という意味があります。
ここでいう一つの目的とはトライのことです。
日本代表の選手もインタビューで
「みんなが繋いだパスでトライすることができた。」
「主将に勝負に出ろという言葉で背中を押してもらえたような気持ちになった。」
このように仲間のおかげでできた。自分自身の力だけではなく、
周囲の環境や人に与えられたもので成功することができたと思う気持ち。
まさに「One for all, All for one」だと思います。

「ノーサイド」はラグビーの試合の終わりです。
勝っても負けても、相手に敬意を払い讃える姿勢は
スポーツマンシップにのっとった素晴らしい姿であり、
大変、清々しい気持ちにさせてくれます。

ビジネスの世界でも会社のメンバーで同じ目的に向かい前進します。
ただ、競合他社との切磋琢磨で市場を盛り上げていくことはあっても、
あまり、相手を讃えるようなことはないように思います。
仮に直接褒められるようなことはなくとも、自分自身の働く姿勢、想いを
「あっぱれ」だなと思っていただけるような悔いのない業務をしたいと思いました。
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それぞれの物語をつなぐ

2019-10-16
10月となり各企業で内定式が行われる時期となった。

今年は大手消費財メーカーが仕掛けた「内定式の髪型を自由に」という
キャンペーンに多くの企業が賛同し、いわゆる“黒髪”“後ろで纏める”様な
旧来のリクルートスタイルではなく、それぞれの自分らしさを出した髪型で
内定式に出席した学生も多かったと聞く。
この「自分らしさ」という言葉には賛否様々な意見がある様だが、
就活において学生の立場が強い以上、
今後もこのスタンスに追従する企業は増えていくのだろう。

ちなみに、調べてみると今のような「リクルートスタイル」が
就活の常識として定着したのは2000年初頭の頃のようだ。
バブル崩壊後の就活、いわゆる氷河期を目の当たりにして
圧倒的買い手市場に対応するための学生側の苦労が垣間見える。
実際、私自身もその時期あたりに大学を卒業しているので、
当時の就活生を取り巻く空気感を肌で記憶している。

当時、大学生から社会人になるというのは、遊びモードから本気モードへの移行、
もっと言えば「楽しさ」から「辛さ」に日常の色が変化していくような
何とも表現しがたいものだったように思う。学生気分から完全脱却は図れない中で、
「とりあえず服装から…」と買い揃え、少しずつ心の準備もしていくような、
そんな通過儀礼的な役割を画一的なリクルートスタイルが担っていた気がする。

自分の中に「内定式は厳粛にすべし」という感覚が少なからずあるのは、
その姿に内面の変化を強く投影していた自分の時代を思い返すからだと思う。
良い悪いではなく、今も昔もその時代ごとの背景、物語があるという事だ。
令和の時代、上から目線の押し付けで「とにかくやれ」というのは通用しない。
彼らの時代特有の物語を理解し、そこに上手く自分たちの物語をつなぐのが理想的だ。
とくに職場における年長者は、自分たちの時代をただ懐かしむのではなく、
「若手がなぜそう思うのか」という背景(物語)を読もうとする姿勢を持つ事だ。
まるで違う様に見える彼らにも、実は共通しているストーリーも見つけられたりする。
お互いにトップダウンや迎合ではなく「つないでいく」という感覚を持ちたいものだ。
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